福井直昭学長 対談

特別対談2― 第105回全国高等学校野球選手権大会優勝記念
福井直睦(慶應義塾高校)× 福井直昭 (本学学長)
特別メッセージ:須江 航監督(仙台育英学園高校)

「エンジョイ・べースボール」の本質――武蔵野の教育方針と符合

直昭 ここで、慶應野球部のモットーとして話題となった「エンジョイ・べースボール」について説明してもらえますか。

直睦 自分が好きな野球をより楽しむために、「より高いレベル、より高いステージで野球をして、そこで見える景色を楽しむ」という意識です。そのためには、一人ひとりが考え、当然苦しい練習をコツコツと積み重ね、仲間との競争も経た結果、最後に笑顔でプレーする。本当に楽しめれば、試合でプレッシャーを感じず、ベストパフォーマンスが出せる。

直昭 エンジョイって「楽して勝とうとしている」と曲解されやすいけど、「自由にやるだけではなく、苦しんで試行錯誤して、正解を探し出す」ということだよね。僕も常日頃、「大学生は、与えられた課題をこなし試験に備えて暗記をする受動的な“学習”ではなく、課題の本質を見極め解決法を創造する主体的な“学修”が大事だ」と話していますが、それを慶應高校野球部は最高の形で実践している。あと森林貴彦監督は野球部のサイトで、「高校野球だけにしか通用しない常識・技術ではなく、野球を通じて、結局これは人生に役立ったなっていうような、考え方とか人間関係のつくり方などを授けたい」とおっしゃってるよね。

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直睦 例えば、特に負けた時が重要で、礼儀正しく相手を称えられるのか。審判やチームメイトのせいにすることなく、敗戦を正面から受け入れられるのか。また「チーティング」といわれる、いわゆるカンニング、つまり(コース球種を絞るための)打者による捕手の位置確認やサイン盗みは、絶対に禁じられています。

直昭 スポーツマンシップなどを学びながら、個々の成長を目指していく。武蔵野の教育方針の「音楽芸術の研鑽」と「人間形成」にまさに通じます。言葉にするのは簡単なことですが、これを“結果が出る”まで日常的にやり続けるのは容易なことではない。やはり監督の指導者・教育者としての明確な理念と、それを貫き通す信念、そしてそれを受け容れる選手たちの姿勢があったからこそ生まれた、今回の結果なのでしょう。

フォーム改善とメンタル強化により打撃不振を打開

直昭 実は、直睦君の春のセンバツ以降から夏の甲子園までのスランプからの脱出が、「エンジョイ・べースボール」を体現しているという事で、新聞等に掲載されていました。朝日新聞の記事「甲子園Vへの軌跡たどる」における森林監督の言葉を抜粋します。

 

「春の大会で4番を打っていた選手が調子を落とし、夏の甲子園では彼の打順は下位に甘んじていたのですが、なんと彼は甲子園が始まる前に、打撃不振を打開するため自らの意志で打撃フォームを変えたのです。そして、自分の課題を分析し、フォーム変更の理由を言語化しながら取り組み、甲子園の期間中のオフの日も志願してバットを振っていたということです。その結果、甲子園が終わってみれば、彼はスタメンの中で最高の打率をたたき出していたのでした。」

 

直昭 入学して1か月も経たないうちに、怪我をして暫くプレーできなかったんだよね。その時と春以降に調子を崩した時は、どちらが苦しかった?

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▲打撃フォームの改善点を解説する直睦選手。手前は福井学長コレクションの甲子園球場ジオラマ

直睦 圧倒的に、春以降の方が辛いです。

直昭 プレーすらできない方が、キツく思えるけど。

直睦 身体は動けるのだから、言い訳できない。頭で考え結果を出すしかない。

直昭 まさに苦悩。では、そこから脱出した方策の“フォーム変更を言語化する”とは?

直睦 1日1日、その時々の微妙な感覚の違いを、言葉で表さないとすぐに忘れちゃうので。悪い感覚も含め、毎日状態をスマホに書きまくりました。そして、最終的に良い感覚だと感じたものをまとめて見てから、練習に入るようにしました。

直昭 悪い感覚を覚えるというのも大事なことだよね。私の弟子にも言うんだけど、失敗した時はあんなにショックを受けてるくせに、月日が経つと皆すっかり忘れちゃうんだよね、悪い意味で(笑)。

直睦 そうです。悪かったことを記憶する方が、大切なくらいです。

直昭 ところで、フォーム変更って勇気が要ると思いますが、具体的にはどこをどう変えたの?これ野球専門誌じゃないんだけど(笑)。

直睦 まず、打つ時に頭が中に入ってしまうとバットが・・・(以下3分、野球マニアの学長嬉しそうに聴き入る)

直昭 フォーム改善と併せて、メンタルトレーニングにも励んだとか。

直睦 チームが近年取り入れている「スーパー・ブレイン・トレーニング」ですね。緊張や不安など精神面の乱れをコントロールする、脳から心を鍛えるトレーニングです。練習中「ダルい」とか「キツい」などのネガティブなワードをつい使いたくなる時でも、「頑張ろう」とか「ありがとう」等の良い言葉遣いを増やしていくことで、苦しい場面でも平常心を保ち、気持ちで優位に立てるように、メンタルを鍛えていきました。

直昭 メンタル面での練習も“野球を楽しむ精神”に繋がっているんだね。

直睦 打席で凡退した時には、「切り替える」と実際に口に発して、守備位置につくようにしました。

直昭 演奏でも野球でも、ベストなパフォーマンスと最悪な事態をそれぞれイメージしておくことで、どんな展開になったとしても「すべて想定内」と割り切ることができ、慌てることなく平常心でいつも通りのPlayができると思います。続いては、慶應野球部の伝統である「学生コーチ」の存在についても聞かせて下さい。

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▲攻守交代時も笑顔でベンチに戻る(8月23日)

直睦 塾高(慶應高校)出身の大学生が、四年間ボランティアで練習指導はもちろん、対戦相手の分析、メンタル面での支えに加え、時には勉強まで教えてくれます。また、ベンチ入りできなかった同級生たちもスタッフに回ってくれたりして。そういう人たちの存在がなかったら、自分たちは絶対に勝てていなかったです。

直昭 サラサラヘア、白い肌、笑顔・・・慶應が勝てば勝つほど、紙面等にはそんな言葉が溢れ返ったけど、それらはあくまで表面上のこと。素晴らしかったのは、野球の実力だけではない。勝つことの意味、それを選手自身が、社会的な次元で追究したチームはかつて殆どなかったと思います。私は、式典などで「多様性が尊重される現代社会こそ、自分の人生を貫く考え方、生き方が何であるかを培い確立していくことが大切であり、同時に、他人の個性や価値観も尊重し受け入れる包容力、またそこから学ぶ謙虚な心も必要だ」と話しています。これは、武蔵野の建学の精神「<和>のこころ」は、「個々人の自立」と表裏一体となって捉えられるべきである、という考えに基づきます。さらに、憚りながらも類比的に申し上げれば、福井直秋の「<和>のこころ」と、慶應義塾の福澤諭吉先生による「独立自尊」は含意は同じである――そして慶應野球部こそ、一人ひとりの「独立自尊」と、(ベンチ外も含めた)チームとしての「和」をそれぞれ追究し、高いレベルで融合させ、今述べた含意を具現していると感じました。

(特別対談3につづく)