佐藤天彦×福井学長 特別対談(後編)3
第74・75・76期名人 佐藤天彦(棋士)×武蔵野音楽大学学長福井直昭特別対談
さまざまな価値観の吸収─〈和〉のこころ
福井 将棋の進化は情報革命と密接に結びついていますが、インターネット等を駆使して世界中からあらゆる情報を入手できる時代だからこそ、常日頃、何が正しいかを見極める取捨選択の力が大事ですよね。
天彦 情報の流入量が多い反面、検索して得た情報がそのまま知識になっているような錯覚に陥りやすいと感じます。将棋の場合は、勉強する量が多いためAIの点数をつけた手に対して、つい思考を飛ばして「ああ、こうなんだ」と、浅薄な理解のまま納得してしまいがちです。情報の洪水の中で思考過程を空虚にせず、常に深層を探るような意識づけをしておくことが肝要だと思います。
福井 人間関係においても、似たような注意をされていますか?
天彦 「自分とは全然違うけど、この人にとっては、これが正解なのかもしれない。とりあえず決めつけずに、判断を留保しておこうか」という姿勢ですかね。確固たる価値観や感覚を持つのは決して悪いことではありません。それは個性でもあります。ただし、それに捉われすぎてもいけない。さまざまな価値観・可能性を吸収するという作業を日々意識的に積み重ねていけば、将棋の盤面も柔らかい頭と新鮮な気持ちで見られるようになるはずです。
福井 多様性が尊重される現代社会こそ、自分の人生を貫く考え方、すなわちアイデンティティーを確立していくことと同時に、他人の個性や価値観も尊重し、受け入れる努力や包容力、またそこから学ぶ謙虚な心も必要だと思います。この寛容な姿勢こそ、「個々人の自立」と表裏一体となって捉えられるべき本学の建学の精神「〈和〉のこころ」であると、私は考えています。
モノクロームな奨励会時代
福井 天彦先生は、なぜ孤独で苦しい戦いを続けられるのでしょうか?
天彦 おそらく幼い頃から盤上で競っていること自体が、人生観や物事の捉え方に大きな影響を与えているからでしょうか。
福井 プロ棋士になるためには、奨励会という養成機関に入る必要があります。全国の天才たちが難関試験をくぐり抜け、小学校高学年くらいで入会し、プロである四段を目指していくわけですが、21歳までに初段、26歳までに四段になれなかった場合は退会となるため、約8割が脱落する実に厳しい世界です。
天彦 会に身を置く時期は、青春であると同時に、まさに進学や就職に関わってくる年代です。普通の若者は誕生日が来るとハッピーな気持ちになるのでしょうが、奨励会員は違います。「ああ、また年齢制限に一歩近づいた」と、苦しい気持ちになるのです。奨励会に入るという事は、まさに人生を賭けるほどの覚悟を要するのです。正直私にとって奨励会時代は、色に例えるとモノトーンです。
福井 正にアン・ドゥムルメステールのメインカラーじゃないですか(笑)。
天彦 ははは(笑)。ただそんな背景もあって、私は今でも時折、奨励会時代の事を思い出し、棋士になることができた重みを改めて感じることがあります。
福井 そういった痛切な勝負を小学生から続けているのですから、強靭な精神力が養われ、特別な人生観・価値観が確立されると想像します。
天彦 「悔しい」というのは、比較的余裕がある感情だと思うのです。例えば今の私はプロになっているので、悔しさも将棋の醍醐味の一部、将棋を戦う上で自然に起きてくる感情です。でも奨励会時代の私は、自分が負けると悔しいどころではなくて、人生が本当に閉ざされるかもしれないという切羽詰まった状況でした。自分は勿論、親もリスクを負っている。勝っても楽しさや喜びを感じた事はほとんど無かったどころか、悔しさを感じている余裕すらなかったのです。
福井 奨励会を辞めようと思ったことが一度だけあるとか。
天彦 中学1、2年の頃です。周りを見渡してみると当たり前ですが、学校の友人は勝負の世界には生きていません。一方、私は朝5時に起きて2時間以上棋譜並べをし、授業中も将棋の本を読み、放課後も真っ直ぐ帰宅して詰将棋を解く。学校を休んでは対局をし、週末も将棋の勉強。基本的に友だちと遊ぶことはありません。それに奨励会で負かされて、日常的に辛い思いもしている。周りとのあまりの差から、ふと普通の日常もいいかもしれないと思い、ある朝「奨励会を辞めようかな」と親に話しました。すると不思議なもので、学校に行くと「やっぱり辞めたくない」という気持ちが沸々と湧いてくる。辞めた時のことを具体的に想像すると、ぽっかりと人生に穴が空いてしまうような喪失感がありました。やっぱり私は勝負の世界で生きてみたかった。結局、「やっぱり続ける」と撤回しました。
福井 当時の感情を突き詰めて考えると、やっぱり純粋に将棋が好きだった、という一言に尽きるのでしょうね。
天彦 私は痛い負けを喫した時も、将棋を嫌いになった事はありません。それは将棋を仕事にしている今も同じです。なぜかというと、負けて悪いのは将棋ではなくて、自分自身だからです。よく好きな事を仕事にすると、それが嫌になってしまうことがあると聞きます。私も当然楽しい事だけではありませんが、すべてが自分の責任で行っていること。それを将棋のせいにする訳にはいきませんし、したくもありません。
プロとして生きるということ── 「人間形成」の必要性
福井 本学は、教育方針として「音楽芸術の研鑽」と共に「人間形成」を掲げています。重なる部分として、天彦先生は著書の中で、「倒した相手から『どうしてあんな奴に負けたんだ』と思われないよう普段から言動に気をつけ、逆に『ああ、あいつに負けたのなら仕方ない』そう思ってもらえるような人間になることを目指す」と説かれています。
天彦 プロになれる人間は極々わずかです。そもそも環境に恵まれなかったり、将棋に出会うのが遅かったり等の理由で、プロを目指すための努力すらできなかった人もいる筈です。つまり、プロであるということは、そうした多くの方々からも見られているということです。自分という人間にも限界があるし、今までもこれからも色々なところで醜態を晒すことがあると思いますが、自分は努力できるという前提の部分で恵まれているんだという事を、常に忘れないようにしています。
福井 将棋の年齢制限のような厳しいものはないにせよ、一つのことを幼いころから突き詰めているという点で、音大生は共通しています。そうした中、各々悩みを抱えているんですが、最後に先生からメッセージをいただけますか。
天彦 私も奨励会時代、本当にプロになれるかなれないかの瀬戸際のところで戦っていました。そんな明るい色彩で彩られない時代も、今振り返ると、そこで得た技術、培った人間関係はものすごく大きい。たとえ練習練習の辛い毎日だとしても、それは後々には非常に豊かな時間であったと思える、そう信じて過ごして欲しいなと。「山あり谷ありの起伏があったほうが面白い」くらいに考えて、自分の人生を映画や小説のように一つの物語として捉えれば、辛い事があっても乗り越えて結果が出せると思います。
福井 人生を俯瞰する視点を持つということですね。対談の前編・後編を通し、お互いの共通した趣味の話題を語らいながら、棋士・佐藤天彦にとどまらず、人間・佐藤天彦を知り、「将棋と音楽の普遍的物語」を紡ぐことが出来ました。心より感謝申し上げます。
(2022年2月発行 MUSASHINO for TOMORROW Vol.139 より)