特別対談2― 鏡優翔(パリ五輪レスリング女子76kg級金メダリスト)× 福井直昭 (本学学長)
タックルに入る時に光が見える
福井 国内では女子の最重量級選手は少なく、世界レベルを想定した練習相手はなかなか見つからなかったのでは?
鏡 体格の大きい男子選手と練習してきました。男子選手のパワーやスピードに慣れ、それを上回ってやるくらいの気持ちでトレーニングを積めたことが自信に繋りました。小さい頃から「タックルで勝て」と言われて、何百本、何千本とタックルに入る練習を積み重ねてきました。だからどこかで必ず自分のタックルが決まるはずだと、冷静な気持ちで試合に臨めたし、大舞台でそれを実現できたことはすごく嬉しかったです。
福井 「タックルに入る時に光が見えるようになった」という発言もありました。
鏡 “光が見える”というのは、「ここで入れ!」「今いけ!」って言われる感覚です。「ピカッ!」っていう言葉よりも短い時間、ほんの一瞬、相手の隙が見えるんです。
福井 そういう話、大好物です。自分には絶対経験できないことですから…当たり前だけど(笑)。昔、「ボールが止まって見える」と語った野球選手がいましたが、それに似た、まさに天才ならではのゾーン状態ですね。もちろん、圧倒的な練習量が礎にあるのは確実ですが。
鏡 レスリング関係者と色々話すと、私は「相手がこうくるな」っていう読みが他の人より鋭いようです。こういう感覚を持ってるのって意外と私だけなのかなと、大学生を教えている時などに感じます。
福井 野球の話が出た所で…ちょっと話題が逸れますが、甲子園球場でファーストピッチ(始球式)をされましたよね。こちらは緊張したのでは(笑)?
鏡 練習ではうまく投げられたんですが(笑)。トラッキー(阪神タイガースのマスコットキャラクター)あたりに投げるって聞いていたのに、サプライズで大ファンの木浪聖也選手がバッター、坂本清志郎選手がキャッチャーをしてくださって、それでもう緊張しちゃって(笑)。
福井 ということで、既にお持ちかもしれませんが、よかったらこれを…(とポケットから阪神・木浪選手のトレーディングカードを取り出す)
鏡 え、え、いいんですか、これ?ありがとうございます!ヤバぁ!嬉しい。
福井 そんなに喜んでいただけて、こちらが嬉しいです。

スポーツの意義を伝える

福井 大学の広報誌なので、少し大学関連のお話を。現在、サントリービバレッジに所属すると共に、東洋大の大学院1年次に在学されています。
鏡 引退後にどのような職業に就くかなどを模索するためにも、入学しました。前期はオリンピックに向けて集中したので全然通えなかったのですが、後期からはこの金メダルの価値を高めるためにも、徐々に通っています。
福井 大学院では、どのような研究を?
鏡 これまで五輪で金メダルを取ることに人生をかけてきたので、今後こんなに一生懸命になれることがあるのかな、燃え尽き症候群になっちゃわないかなと、今少し不安なんです。でも、金メダルは誰もが取れることじゃないので、この経験を何も活かさなかったら勿体ない。だからレスリングの普及をしながら、スポーツの持つ意義といったものも伝えていきたいと考えています。亡くなった祖父の話なのですが、ある難病にかかって杖をついていたのに、私の試合を応援しに来るってなった時に、杖要らずでスタスタ歩くようになったんですよ。世界選手権の時も肺炎気味だったのですが、私が優勝した瞬間に治っちゃったんです。帰国後すぐ会いに行ったら、感情も顔に出るぐらいめちゃくちゃ元気で。やっぱりスポーツには何かそういう効果があると感じました。高齢化がさらに進む今後、活力ある健全な社会の形成に対するスポーツの意義を、自らの経験も含めて研究していきます。
福井 AIや科学技術の発達で利便性が向上する反面、ストレスを感じることも増大している現代社会においてこそ、人間の身体的・精神的な欲求に応える世界共通の文化であるスポーツは、ますます大きな意義を持ってくると思います。きっと音楽も同じです。是非スポーツ振興を通し、社会に貢献していただくことを期待します。
かわいく、 強く、 かっこよく

福井 さて、少し時間を巻き戻します。そもそも東洋大学を選ばれたのはなぜですか。
鏡 高校までJOCのエリートアカデミーというちょっと厳しいところで過ごしたのですが、自分自身が縛られるのがあまり得意じゃなくて。それで、自分らしさを出しながら頑張れる場所だと感じた東洋大学を選びました。オシャレも好きなので、髪の毛を染めたり、ネイルをしたりして。そういうことがダメなレスリング部は沢山あるので。でも、これで弱かったら「弱いくせにそんなことやってる」ってなっちゃうので、自分に良い意味でのプレッシャーをかけてきました。
福井 その付近は、(前回学長対談の)慶應義塾高校野球部の「エンジョイ・ベースボール」にも通じるものもありますね。その代わり、そういう環境では主体性が重んじられる。自分の意志や判断に基づいて行動しなければいけないですよね。責任を伴うというか。
鏡 そうなんですよ!
福井 オシャレといえば、フランス国旗のトリコロールに染めたヘアスタイルや、「カワイイ♡」と書き込まれたマウスピースが話題となりました。

鏡 福井先生から責任の話が出ましたが、色んな強くなる方法があるんじゃないかって。(マウスピースに書き込むことで)自分が「かわいい!」で応援されたら頑張れるとか、オシャレしながら、練習や戦う時は切り替えるとか。だから、強くなるこういう方法もあるってことを証明できたと思います。でも五輪前、NHKの特集か何かで「カワイイ♡」に関する発言をしたら、SNSに「鏡は、あの発言で負けると思う。外国人のアドレナリンをなめたらいかん」って書かれたんですよ。夜遅くだったんですが、その投稿を見た瞬間「こんな一生懸命練習しているのに、何でそんなこと言う!」って悔しくて泣きながら、気が付いたら腕立て100回やってて。その後腹筋100回やってもまだ足りないと思って、また腕立て100回やって、ようやく「寝る!」って(笑)。でも優勝したら、その投稿をした人から「ぶちのめされました。おめでとう。カワイイですよ」ってきたんです。
福井 伏線回収というか、SNS上でもドラマを紡いだという(笑)。そういえば私、昨日歯科医院に行ったのですが、鏡さんに敬意を表し、歯に「カワイイ」って書いてもらおうと一瞬思いました(笑)。
鏡 是非やって欲しかったですけど(笑)。レスリングは汗をかくし相手と接触もするので、陸上選手のようにメイクやアクセサリーをして出られない。でも、だから何もしないではなくて、邪魔にならない程度に、髪の毛の色や、落ちないリップ・取れないマツエクとかで美しく見えるようにしています。それが競技自体のアピー
ルになればなと。
福井 五輪を目指した学部時代の大学生活のルーティンはどんな感じだったですか?音大生が興味あるところです。
鏡 午前中の授業のない時間にトレーニングをし、午後の3、4限あたりに授業を入れて。5限後から練習となると18時からなんですよ。で、終わるのが21時くらいで、そこからご飯を作ったり、洗濯となると1日が終わるのは結構遅めになります。
福井 音大生で真面目に練習している子も、そんな感じです。人間1日24時間しかないって制約があるからこそ、頑張りますよね。日本の大学は、昨今出席が厳しいはずですけど、東洋大学さんは?
鏡 厳しいです。
福井 オリンピック候補選手だから緩和とかはないですよね?
鏡 いや、ないですね。
福井 3分の2出席しなければ単位が出ない?
鏡 はい、そうです、そうです。欠席は4回まで…授業が詰まってる1、2年次は、ちょうどコロナ禍ゆえのオンライン授業だったので、移動時間等を考えるとある意味ラッキーでした。
福井 学業の方はどうでした?
鏡 結構ギリギリを攻めてました(笑)。勉強はやれって言われたら結構できるし、頑張ったら良い成績は取れると思うんですが。「今日は午後の練習のために、どうしても身体は休めたい」という時は、そちらを優先して欠席したりしました。
福井 知人の有名将棋棋士も、大学時代の単位取得にはコスパを重視したと(笑)。でもトーナメントで勝ち進むと、そういう時に限って出席がギリギリな授業の曜日に次の対局が入ったりして、勝って嬉しいんだか悲しいんだかって思ったと言ってました(笑)。
(特別対談3へ続く)
