福井直昭学長 対談

坂東玉三郎×福井直昭特別対談3

歌舞伎役者・本学特別招聘教授 坂東玉三郎×武蔵野音楽大学学長 福井直昭特別対談

見聞を広めることの意味

福井 本学の教育方針でもある「音楽芸術の研鑽」と「人間形成」にも関わる話ですが、音楽を学ぶ者は、作品の背後にある時代背景について、また、絵画や彫刻などの芸術や文学、宗教など音楽に関わりのある分野について、しっかり勉強する必要があります。しかし誤解を恐れずに言うと、私はバックグラウンドを勉強したからといって、曲の解釈が急激・劇的に変わることはないとも思っています。大学であれば、先生の教え方・解釈の方が遥かに影響力があるでしょう。同様に、ある演奏家が、「バレエを観たり、絵画を観たり、通りにいるホームレスを見ることさえ、演奏に役立つんだ」と言っていますが、これらも即時的な話ではありません。ただ、それらの様々な体験から長い時間を経て培われた感性といったものは、絶対に演奏に役立つと思っています。

玉三郎 いまのお話の関連でいえば、江戸時代の琳派の絵の収集家に話を聞いたことがあるのですが、彼は「美術というのは比較論だ」と言うんですね。びっくりしました。普通、美術は「感じるもの」だと思っている
じゃないですか。しかし、それを比較論だと。感じるものではあるけれども、比較論として沢山観ることが大切だと。自分が観た絵が、どこの方角を向き、どこにいるのか、そして自分の位置を確かめるためには、多く
のものを観て比較し、自分が何を感じたか確認
しないといけない。同じ意味で言えば、音楽も色々なものを聴かないといけない。そして先ほど福井先生がおっしゃったように、バレエを観たり、絵画を観たり、平たい言葉だけれども、見聞を広めるということに尽きるのではないでしょうか。

福井 私も、見聞を広め、色々な人と話をして、人間としての引き出しを多くする。それが演奏に役立つ、役立たないは別として、大人としての教養を高めていくことが必要だと考えます。
 また、音楽は人間のうちにおいて生まれ、その人の演奏や作品には、自ずとその人の人間性、人格や個性が表れるものでありますから、その音楽が持つ内面の喜怒哀楽の心に共鳴できる鋭い感覚を磨かなければなり
ません。鋭い感性を磨き、自分自身の中に浮かぶ心情や考え、自分の個性や独創性を的確に表現する努力があってはじめて、そこに芸術が生まれる
のだと思います。もちろん、先ず規則的な厳しい練習により、優れ
た技術を身につけなければならないことは言うまでもありませんが。

玉三郎 学校では、伝える型を学ぶ、或いは歴史を学ぶ。でも「感じる」ということに関して言えば、子どもの頃から大人になるまでに、その人の中に自然と生じていくものですから、そこを先生たちが動かすことは難しい。先生や先輩は、その人なりの持つ魂をよく引き出してあげることが役割であり、それに対する目や感覚を持っていることが求められます。そこさえ見極められたら、技術はそんなに難しい問題ではありません。練習すればいいわけですから。ただ、素晴らしいものを持っていても、世の中に理解されずに終わってしまう人がいます。学校の役目としては、それを引き出してあげることが一番大事であり、練習は二義的なものかもしれません。
 ただ、先ほどお話しした「型」を習得するのは、苦痛を伴うものなのです。でも、その苦痛を超えないと、その先の「型」から外れることも出来ないんですね。嫌なことをする時間、いわば苦行的な時間を過ごすことが今の時代は非常に少なく、そういう意味では「型」を習得させづらい時代だと言えます。

福井 血の滲むような努力をして辿り着いた「型」、その先にこそ、新しい「型」が生まれるのですね。私自身に対してでもですが、学生によく言うのは、「言い訳の材料を排除し、毎日練習しなければいけない」と。その一方、いくら練習を積んでも舞台やステージで失敗することがあります。瞬間芸術ですから、失敗しても消しゴムで消すことはできない。皆、すごく悔しい思いをするわけです。頑張った人ほど、その悔しさは大きいはず。でも私は、そうした悔しさは味わった方がいいと思うんです。ある人が、人生の本当の楽しみは「喜怒哀楽の総量」だと言っているように、喜と楽だけでは人生は味気なく、怒ったり、哀しんだりして初めて人
生は豊かなものになるのではないでしょうか。本当に頑張った挙げ句の失敗は糧になり、人に深みをもたらすに違いありません。
玉三郎先生も長年にわたる舞台人生の中で、失礼ながら、失敗したり、緊張したりすることがあったと思いますが…。

玉三郎 私はけっこう緊張するほうなんですよ(笑)。

福井 努力してきたから、逆に緊張するということもありますよね。私は、頑張っているからこそ緊張する、そしてそれを味わうために努力するんだよと説いています。玉三郎 緊張感のない人生は、つまらないかもしれないですね。その緊張を制御するのは、練習であり、経験である。でも、緊張しないと成長しないと言われますから。一流の音楽家でも歌い手でも、きっと皆さん緊張していると思います。

福井 「喜怒哀楽」を感じる大切さに関しては、いかがでしょう。

玉三郎 モーツァルトにしても、ラヴェルにしても、その作品は人生の苦しさ、生きていることへの矛盾や疑問から出てきているものだと思います。どこの時点の、どの場所の、どういう種類のものかは分かりませんけれど、やはり挫折とまでは言わなくても、こうして生きていていいのだろうかという深い思い・疑問がなければ、作品を作る意味はないんじゃないかと思います。

第11 回ショパン国際ピアノコンクールの覇者でもあるピアニストのスタニスラフ・ブーニン氏と
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