福井直昭学長 対談

宮城野親方(元横綱白鵬関)× 福井学長 特別対談(前編)2

特別ゲスト:富山英明(日本レスリング協会会長・1984年ロサンゼルス五輪金メダリスト)

「運と縁と恩」で決まった角界入り

福井 日本人の多くは、白鵬関が大いに期待されて角界入りしたと誤解しています。

宮城野 2000年10月、15歳の私は飛行機から生まれて初めて海を見て、来日しました。大阪で日本のアマチュア相撲の人たちと稽古をして、日本を視察するという2ヵ月のツアーでした。

福井 外科医であるお母様が、日本行きの話を聞いたのは、出発前日だったらしいですね。

宮城野 大反対すると考えた父が、直前まで秘密にしていたんです。案の定、母の反対は猛烈なものだったらしいですが、私を直接責めることはしませんでした。そのかわり私に「人間の右肩には父、左肩には母、額には師匠の魂が宿る、これを心に刻みなさい」と言いました。私は、来日するまで、外泊すら許されなかったんですよ。それどころか、父と母に挟まれて、川の字になって寝ていたんです(笑)。

福井 相当な「箱入り」ぶりですね(笑)。でも、当時のお母様の気持ちは、いかばかりかと。

宮城野 アマチュアといえども稽古は本格的なもので、私たちを見に、いろいろな部屋の親方が来ました。当時、既にモンゴル出身の力士たちが活躍していましたし、2年前に角界入りした朝青龍関も注目されていたからです。稽古が終わると、体の大きい子には続々と声がかかり、入門が決まって上京していきました。しかし、私には一向に…。このままモンゴルに帰れば、「あの偉大な横綱の息子が、力士になれなかった」と言われ、父の名前を汚してしまいます。日本語が話せなかった私は「I don’t want to come back.」と言って泣きましたが、何もできないまま帰国の日が近づいてきました。飛行機のチケットをもらい、両親にお土産を買って、「帰ります」と電話を入れました。

福井 それが、帰国前夜、思わぬ展開に…。

宮城野 そうです。4歳の時モンゴルの大草原で初めて会った旭鷲山関が、彼の師匠の大島親方にかけあってくれ、さらに大島親方が、仲の良かった当時の宮城野親方に「こういう子がいる」と話してくれたんです。宮城野親方が出した条件はただ一つ。部屋のモンゴル人力士の龍皇より歳が若ければいいと。声がかからなかった4人は、龍皇と同じ歳なんですよ。唯一、私だけが年下で。

福井 まあ言葉は悪いけれど、宮城野親方(当時)に拾ってもらったということですね。

宮城野 ちなみに龍皇は、今日大学まで車を運転してきてくれた彼です。入門当初から頼りになる先輩で、彼がいなければ現在の私はいないと思います。

福井 素晴らしいご関係ですね。

宮城野 現在、外国人は一部屋1人ですが、当時は2人まで許されたので、1 人が強ければ 1 人は弱くてもイイと。それと、宮城野親方は、小兵ながら努力で関取まで昇りつめた方です。だから寛大な気持ちで入門を許可してくれたのだと思います。でも、親方は私の体を見ていないんですよ。大阪にいる部屋のOBに、私を見にいかせました。親方に時間があって大阪まで来ていたら、私のことは選ばなかったんじゃないかな。

富山 これもまた面白い話だな。

福井 当時の白鵬少年の体は、175センチ、62キロ。ぴったり今の私なんですよ。

富山 へえ、そうなの。

宮城野 当時の62キロの写真を、もっと世の中に出して知ってもらいたいです。そうすれば、日本の子供たちも「僕でも頑張れば横綱になれるかも」と勇気を持てる。

福井 そのことから言うと、私でも横綱になれるってなりますね(笑)。

宮城野 ちょっと遅すぎますけどね(笑)。62キロしかなかったけれど、新弟子検査の規定では75キロなければいけない。師匠から2つの生活指導を受けました。一つは「食べたら寝る」、もう一つは「痩せちゃうから、稽古はするな」。富山さん、お酒飲みすぎて吐いたことあります? 

富山 そりゃ、ありますよ。

宮城野 でも、食べ過ぎて吐くというのは、なかなか大変ですよ。

富山 それはないな(笑)。

宮城野 横になると気持ち悪くなるから、壁に手を当てたまま寝ろと。「お前吐いただろ」と先輩にはバレて、「もう1回食え」って。まさに食べる稽古ですよ。

富山 減量も辛いけど、それもまた辛いなあ。

宮城野 少し稽古しただけで、「上にあがっていいよ。フィニッシュ」みたいな。もっと稽古したいじゃないですか。嫌われているんじゃないかと思いましたよ。

福井 引退会見の時に、同席されたご師匠が「30年間で、こんなに基礎の稽古をした弟子はいない」とおっしゃったのが印象深いですが、それほど稽古熱心な白鵬関が、はやる気持ちを抑えて、食べ続けるのは辛かったでしょうね。

宮城野 部屋に来たのが12月23日です。で、入門が2月の中旬ですから、ほぼ1ヵ月半。この間に身長が5センチ伸び、体重が18キロ増えて。

福井 昔、『1・2の三四郎』というプロレス漫画で、主人公たちがガッと大きくなるシーンを読んで「そんなの現実には…」と思っていましたが、この話を聞くとあり得るんだなと(笑)。

宮城野 寝ることに関しては、全く問題ありませんでした。最高は、1日18時間。

福井 18時間! 私もいつでもどこでも寝られるけど、さすがに18時間は…。寝るのって、才能ですよね。前回の対談が、将棋の元名人 佐藤天彦九段とだったんですが、私に「福井先生、寝る才能があるから将棋向きですよ」と(笑)。将棋は長いと1局で丸2日とか頭使いますからね、パッと寝られないと。

宮城野 先輩たちは昼も夜もちょっと出掛けるんですが、その間ずうっと私は寝ている。私は、あまり寝返りをしないみたいなんですよ。先輩たちが帰ってきても、同じ姿勢で寝息も立てず寝ているから、「おい、白鵬死んでるんじゃないか」と。

福井 ははは。「赤ちゃんは寝るのが仕事」って言うけれど、まさに「食っちゃ寝」が仕事だったんですね。一方、幼少の頃、その後相撲界で生きていくうえでも貴重な「腹が減る」という体験を得たというお話にも、感銘を受けました。

宮城野 家は大都会のウランバートルにあって、冷蔵庫を開ければすぐに何でも食べられる環境だったんですけど、父の兄と妹が遊牧民だったので、夏休みの1ヵ月間大草原に行かされました。そこでは、肉を入れたご飯が1日1回だけ。朝、昼はヨーグルトを飲んだりチーズをかじって誤魔化す感じで、1日中働くんですよ。雨の日だろうが陽が出ていようが関係なく、ずっと放牧している羊を見ていないといけない。狼が来ちゃうし、他の家の羊と混ざっちゃうと分けるのが大変なんです。遠くに行って水を汲んできたり、木のない草原で燃料にするための牛と馬の乾いた糞を集めたり。毎日その繰り返しでしたね。モンゴル相撲の偉大な横綱の息子であっても、その民族のルールがあるから、それに従う。「人間が食べていくためには果たさなければならない義務と責任があるのだ」ということを、自然と学びました。

福井 モンゴル大草原での「腹が減った」体験と、真逆の入門時の「食べ続けるキツさ」の両方を味わっていらっしゃる。

宮城野 キツかったけど大自然の中で我慢を覚え、精神的、肉体的に鍛えられました。そこには、私という人間を培ってくれた原風景が拡がっています

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モンゴルを愛する宮城野親方は、母国の音楽にも詳しい。本学楽器ミュージアムで、モンゴルの楽器群に興味津々
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歴代最多33回目の優勝を決め花道を引き揚げる白鵬関 を祝福する福井学長(2015年1月23日両国国技館)