福井直昭学長 対談

佐藤天彦×福井学長 特別対談(後編)1

第74・75・76期名人 佐藤天彦(棋士)×武蔵野音楽大学学長福井直昭特別対談

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 対談前編(前号掲載)の10日後に、CS番組の収録のため東京・将棋会館で行われた佐藤天彦九段と福井直昭学長の対局は、解説の先崎 学九段が「凄い将棋。私が今まで観た中でも、二枚落ち史上屈指の熱戦でした!」とTwitter上で絶賛するほどの白熱したものでした。今回の後編では、その対局の振り返りを皮切りに、今や将棋界を席巻しているAIから、天彦九段の愛称「貴族」の由来でもあるファッションの話題まで、お二人が大いに語り尽くします。

将棋と音楽

―― 時代を超えるその普遍的物語(後編)

「棋は対話なり」─ 緊張感を集中力に転換

福井 歴史を刻む将棋の総本山での解説や記録・読み上げまで付された本格的な対局。大変貴重な経験となりました。

天彦 いやあ、序盤から本当に完璧な指し手をされて、放送時間を余してすぐ終わってしまいそうになり(笑)。まさか、最初からこちらがあんなに時間を消費するとは想像していなかったんですけど(笑)。

福井 対局いただいた天彦先生に失礼がないよう、自分なりに研究を重ねました。

天彦 最善の粘りをしないと一気に潰されてしまうので、かなり力を入れて序盤は持ち堪え、中盤は捻り合い、終盤もお互い30秒将棋の熱気溢れる展開になりましたが、最後の競り合いではプロの技を披露できたかなと(笑)。驚いたのは183手もの長手数。それも勝敗が最終盤まで分からない状態。私自身、大いに充実した時間でした。

福井 「棋は対話なり」──2時間近く先生と将棋盤を挟んで向き合って、その言葉が頭に浮かびました。本対談とは全く別の意味の、実に贅沢な「対話」でした。

天彦 福井先生にとっては経験されたことのない、いわばアウェイのシチュエーション。多少は緊張されていたかとお見受けしましたが、ただそれを、力を発揮する上でマイナスになる動揺ではなく、むしろプラスになる没我の集中力に繋げているようで、印象に残りました。

福井 前回は、仕事外の時間の重要性についてお話ししましたが、いや実際仕事以外でこんなに緊張する場面なんて滅多にない(笑)。今後の人生においても活きるような、得難い体験となりました。

天彦 そこまでの事を感じて下さって光栄です。私もまだまだ未熟とはいえ、10代、20代の時よりは棋士として勝負以外の役割・責任が増え、それ故に不安や緊張を感じることも出てきた気がするのですが、それだけに先生の緊張感を集中力に転換する力には刺激を受けました。もちろん、この辺りは分野は違えどプロとしての経験が大きい面でもあると思いますが…。

福井 駒を並べる段階で手が震えたので、頭の中まで震えて実際の指し手自体まで委縮しないよう奮励しました(笑)。

天彦 序盤は本当に完璧でした。どのプロにも異論はないと思います。しかし、いかに模様を良くできても、王様を詰ますという所まで辿り着かないといけないのは、将棋の厳しさの一つですね。

福井 正直「いけるかも」と何回か思ったので、その度に浮かれる気持ちを抑えたのですが(笑)。棋士の方々は、幼少の頃から逆転の怖さを嫌というほど味わっていますよね。少しの有利を拡大し勝ちに繋げる。あるいは、不利な局面から何とか相手に間違えさせて逆転に持ち込む。一流棋士であっても、一つの勝利を得ることは容易ではない。「勝ち切ることが難しい」という言葉は、一層素直に私の胸に響くようになりました。天彦先生の洗礼を受けたお蔭です(笑)。人生の教訓にしたいと思います(笑)。

天彦 でも、あの対局場の充実感というか空気感は、勝ち負けとは別の次元で素晴らしいものだったと思います。あれだけ長く続いた熱気は、きっと視聴者にも伝わったのではないでしょうか。

福井 負け惜しみではなく、序盤で押し切るより、終盤のあのスリリングな時間を先生と共有できた事は、本当に幸せでした。

仕事と趣味を刺激し合う

福井 天彦先生はメンズファッション誌の年間表彰で受賞されたほど、ファッションに一家言をお持ちですが、お好きなベルギーのブランド「アン・ドゥムルメステール(以下、アン)」についてお願いします。

天彦 中近世ヨーロッパを思わせる装飾が適度に施されたデザインが特徴です。絢爛豪華なバロック、優美なロココ、どちらも私は美しいと感じていますが、当時のままのファッションは、現在の日本では勿論出来ない。だからこそ、それらの要素を上手く取り入れつつ色はモノトーンで纏めることで絶妙なバランスを保っている、アンに惹かれています。

福井 若い頃は、貯金を切り崩し電気が止められそうになるまで、アンの服に投資されたんですよね(笑)。

天彦 でも、20代前半という多感な時期に、多少無理をしてでも感動させられるものを取り込んでおいて良かったです。

福井 先生は、もはやアンの広告塔みたいなものですからね(笑)。現に、私も影響を受けて何アイテムか購入してしまいました(笑)。幻想的で官能的な世界観が気に入っています。ご自宅の豪華絢爛な家具については紙幅の都合で次の機会にと思いますが、先生は趣味の幅が実に広く、絵画教室に通われていたり、音楽理論(和声)も習われています。

天彦 基礎を知るだけでも、絵を観るときの感じ方や音楽の聴き方が変わりました。音楽も将棋も、それぞれ限られた数の音や駒たちが、セオリー・定跡に沿いながらもそこから逸脱していく様が似ていて、興味深いです。

福井 前回、ピアノを22歳から5年間習われていたと伺いましたが、なんとこのたび、私の下で再開いただくことと相成りました(笑)。

天彦 福井先生が、6年間ほぼ弾いていなかった私にどのように教えて下さるのか想像できなかったのですが、音楽の構造から来る必然に近い弾き方をしなければいけないような部分、反対に解釈の余地が幅広い部分など、本質的なところから教えて下さり楽しかったです。あとは、間近でお手本のフレーズを弾いて下さるので、純粋に迫力をも感じました。聴く専門の私のようなファンにとっては、そのような距離で演奏を聴くことは普段ありませんので。思わず聴き入ってしまい、ご指導が耳に入っていない瞬間すらありました(笑)

福井 お互いのプロの部分と趣味がクロスオーバーというか、刺激し合えれば良いですよね。

天彦 技術を高めればもっと楽しく色々なことが教われると思うので、少しずつでも練習をしたいところなのですが、この辺りはプロ棋士生活とどう両立できるか、これから模索していきたいと思います。

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お二人と、テレビドラマ化もされたベストセラー「うつ病九段」の著者としても知られる解説の先崎 学九段と、女王2期を誇る聞き手の上田初美女流四段
ペーター・ヤブロンスキー
佐藤 天彦

1988年福岡県生まれ。中田功門下として1998年に奨励会入会。2006年プロ入り。2008年第39期新人王戦で棋戦初優勝。2011年同棋戦で2度目の優勝。2016年第74期名人戦にて羽生善治氏を破り、史上4番目の若さで名人位を獲得、九段昇段、以後3期連続名人位。2016年第2期叡王戦優勝、2018年第26期銀河戦優勝。将棋大賞は2015年度に最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・名局賞・敢闘賞の五部門を獲得。2016年度には最優秀棋士賞を受賞。クラシック音楽、ファッション、ヨーロッパの文化等に造詣が深く、「貴族」の愛称を持つ。

羽生善治竜王(当時)を破り、名人3連覇に王手をかけた第76 期名人戦七番勝負 第5局(2018年 5月30日 於:名古屋市 「万松寺」)。着用したボルドーの羽織は、和装にもこだわり を持つ天彦九段のお気に入りの一枚。

写真提供:日本将棋連盟