福井直昭学長 対談

宮城野親方(元横綱白鵬関)× 福井学長 特別対談(前編)3

特別ゲスト:富山英明(日本レスリング協会会長・1984年ロサンゼルス五輪金メダリスト)

負け越しから始まった相撲人生

福井 そして、デビューの場所を迎えるわけですが、序の口で最初に3勝4敗で負け越し。歴代横綱で、序の口で負け越した人はいないんですよね?

宮城野 それが、他に2人もいたんですよ!

福井 あれ? 以前の会見で、最初だと。相撲ファンから苦情が来たんですか?

宮城野 いや、その後、自分でちょっと調べたんですよ。そうしたら、冒頭でお話しした初代若乃花さん、私の師匠の師匠である横綱吉葉山、そして私と3人もいたことが判明(苦笑)。横綱昇進時の会見で「自分が最初」って話しちゃって…恥ずかしくて、唯一消したい過去なんですよ。

福井富山 (大爆笑)

宮城野 でも、その16歳のデビュー場所と、17歳の三段目で負け越しただけで、そこから負け越したことがないんです。

福井 凄い! でも、最初の頃は1日3回泣いていたと。

宮城野 稽古場で2回泣くんです一番キツい「ぶつかり稽古」を、毎日30本やっていましたから。苦しくて泣いて、終わった時先輩に「お前のためだからな」とポーンと肩を叩かれ慰められ、そこでまた泣く。そして夜は布団の中で、明日またあの稽古が始まるんだと思って泣いちゃう。で、音楽聴いて、心を落ち着かせたんです。先輩に、日本語を勉強しろと言われてCDをもらったんですが、それが、夏川りみさんの『涙そうそう』。付属の歌詞カードを全部丸暗記したんです。分からない漢字は、歌を聴いて、ああこういうふうに読むんだと。親元から離れて歌を聴くことは、明日も頑張ろうという原動力になりました。やっぱり音楽というのは素晴らしいなと、余計感じましたね。

福井 それが、音楽の力ですね。

宮城野 そして、本当にいい師匠につき、いい部屋に入ったなと。最後の最後まで声がかからなかったけど、「残り物には福がある」というのは、こういうことなんだろうなと。

福井 きっと師匠の方こそ、そう思われてますよね。まさか、この子が45回も優勝するようになるとは、と。

宮城野 ある先輩関取が、私が入門した時、師匠に「この子、お相撲さんは無理じゃないか。床山さん(力士の髷まげを結い上げる人)にしたほうがいいんじゃないか」って言ったんです。その1年半後、同じ先輩が「親方、この子、最悪でも役力士まで行くんじゃないか」と。そのうち「いや、横綱まで行きますよ」。やっぱり肌を合わせているから、日に日に強くなっているのが分かるんでしょうね。体重が増えていき、日本語も上手くなっていくと、勝っていくんですよ。

福井 ちょっと私、聞きたい話があるんです。奥様と出会って、ラクーアに初デートに行かれたと。普通は初デートでラクーアには行かないですよね(笑)。富山先生、ラクーアって、東京ドームシティにあるスパなんですけど…。

富山 ああ、行ったことありますよ!

宮城野 行ったのは、スパじゃなくて遊園地ね。

福井 ああ、遊園地の方! 本が間違っているんだ(笑)。それは、目立ったでしょうね。

宮城野 帽子をかぶって…。

富山 帽子をかぶっても分かるでしょう。

宮城野 その時は、まだ十両に上がった頃で、体重も130キロしかなかったから。

富山 それでも目立つと思うけどな(笑)。

福井 130キロだと、乗り物の体重制限にひっかからなかったですか?

宮城野 確か145キロだったと思います。だからギリギリでした。初デートだし、手を握りたいでしょ。だから、お化け屋敷に行ったわけ。

富山 怖くて飛びついてくるからね(笑)。

宮城野 そうそう、まさにそれを狙って(笑)。女性と付き合ったことなかったし、相撲なんて男社会じゃないですか。同期の力士が、「これを見て勉強しろ」と言ったのが、『冬のソナタ』で。今から考えると、とても恥ずかしい台詞を真似ていました(笑)

⑧2021年7月14日 七月場所 塩まき.jpg
進退を賭けた場所で塩撒きをする白鵬関。全勝による奇跡の復活で45回目の優勝を決め、現役最後の場所を飾った(2021年7月14日ドルフィンズアリーナ)
日本相撲協会提供

横綱の栄光と苦悩 ── 朝青龍からの電話

宮城野 関脇までは本当に相撲が楽しくて。毎場所、早く来いと思っていました。でも、大関、横綱になってからは、マスコミの前で「楽しい」という言葉を使うのを止めたんです。楽しいこと、ひとつもない。

富山 勝って当たり前だからね。「楽しむ」という心境ではないよね。

福井 横綱は、大関には落ちないですからね。負けたら引退しかない。

宮城野 昇進した時に、故大鵬親方(元横綱大鵬)に「横綱になったら、常に引退のこと考えなさい」と言われ、聞かない方が良かったと思ったくらい、衝撃を受けました。

福井 怪我をされてからは、色々批判を浴びました。「ただ勝てばいいんじゃない、横綱としての品格を持て」と。でも、品格=勝ち方だとしたら、道徳と戦術という本来相容れない要素を、土俵上で両立させなければいけない。それが横綱という地位の困難さですよね。「勝つだけではいけない」という制約の中、勝ち続けなきゃいけない。

宮城野 いま大関だったら横綱は狙わないですね(笑)。

福井 長らく親方と2人で相撲界を牽引した朝青龍関が辞められた時、親方が記者会見で「信じたくない」と感極まり終始涙声だったのを拝見し、とても感動しました。

宮城野 あまりに突然でしたからね。朝青龍関は、乗り越えなければいけない壁、最大のライバルでした。私が横綱になってからは、ほとんど直接言葉は交わしてないんだけれど、横綱としての重圧と責任を分かち合える存在がいなくなったというか。たとえ言葉を交わさなくても、いてくれるだけで、大きな存在でした。

福井 栄光と苦悩を共感し合える存在ですね。

宮城野 逆に、去年私が引退した時、朝青龍関から電話がかかってきて、4時間ですよ、4時間も話しました。

福井 連絡があったという話は読みましたが、そんなに長く! それは感動です。

宮城野 電話自体、初めてです。

富山 やっぱりモンゴル語で話すんでしょ?

宮城野 日本語も挟んでね。

福井 頂点に立ったものだけが知る、光と影。私は朝青龍関も大好きなんです。親方同様、相撲内容の魅力だけでなく、発言やサービス精神からくるそれに惹かれました。さて、次回後編でも引き続き「宿命と運命」をテーマに、相撲の奥深さ・魅力、教育論など盛りだくさんの内容のお話を伺います。

(2022年10月発行 MUSASHINO for TOMORROW Vol.141 より)

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