特別な二番を観戦

福井 親方、本日は御来学いただき、誠にありがとうございます。共通の知人である富山先生にもお越しいただきましたので、鼎談(ていだん)という形でお話をしようと思います。
宮城野 富山先生は、行司ですね(笑)。
福井 「行司差違え」のないよう、お願いいたします(笑)。さて、親方とは子供同士が小学校時代の同級生という関係ではあるものの、今日が初対面なんですが、実は過去に接点があったという映像を、まずは見ていただきたいと思います。

福井 初優勝と33回目の優勝は、親方にとって特別なもののはずですが、まずは初優勝が決まった一番、この砂かぶり席でボーダーのシャツを着ているのが私です。
宮城野 おーっ、若い! おいくつの時ですか?
福井 35ですね。横綱が勝った時、大喜びしています。
宮城野 へぇー。でも、この席は本来手を叩いてはいけないんですよ。
福井 そうなんですね(苦笑)。でも、これで私が白鵬ファンだったということが、まずは証明できました。
宮城野・富山 (爆笑)
福井 私、この席に座るのはこの日が初めてだったので、我ながら持っているなと(笑)。そして、とっておきの次の映像は、それまでの大鵬関の記録を破る歴代最多33回目の優勝がかかった一番です。取り直しの末に完勝したこの瞬間には、私はまだ画面に映っていません。この日は花道のすぐ脇に座っていたんですが、この後、図々しいことをしてしまうんです。(ニュース速報テロップが流れる中、白鵬関の肩を叩く学長がアップで映る)これ、私!

歴代最多33回目の優勝を決め花道を引き揚げる白鵬関 を祝福する福井学長(2015年1月23日両国国技館)
宮城野 おーっ!
富山 わははは(爆笑)。笑っちゃうね。
宮城野 隣の人は奥様ですか?
福井 この人は全然知らない方で、多分後ろのマスの…
富山 隣は内緒です(笑)。
宮城野 だいぶ年上だったよ(笑)。
富山 年上好みだからね(笑)。
福井 勝手に話を進めないでください(笑)。つまりご覧いただいたように、史上最多優勝を世界で一番最初に祝福したのは、何を隠そうこの私だったと(笑)。ところが、この後すぐに友人たちからすごい量のLINEが来たんです。「テレビで見たよ!」と、まるで私が優勝したみたいに(笑)。誰にも観戦の話はしてないですよ。平日だったので、できたら隠れたいくらいじゃないですか。自分から肩を叩いておいて何言ってんだ、という話ですが(笑)。とにかく、これははしゃぎ過ぎたと反省し、一緒に観戦していた妻から、親方の奥様(紗代子夫人)へ「いま福井が映り過ぎてしまったようでスミマセン」とメールさせて頂いたんです。すると、すぐに奥様から返事が来て、「いま、私もテレビで(福井さんの)ご主人を拝見しました」と。奥様は私の顔は知らなかったのに(笑)。
宮城野・富山 (爆笑)
福井 さらに後日談があるんですけれど、親方が国技館からご帰宅され、ニュースか録画でこのシーンを観た時、あまりに私が馴れ馴れしいからか、「これ、俺の知っている人?」と奥様に尋ねられたと(笑)。そんなことを10何年か前にお聞きしました。
宮城野 へぇー。
福井 その時、奥様が何とおっしゃったかは分かりませんが、おそらく「直接面識はないけど…」
富山 子供同士は、繋がってはいると(笑)。
福井 私もたまにテレビに出ることがあるんですが、先日、十何年ぶりに話した友達に「以前、テレビで見たよ」と言われて、何の番組か聞いたら、「白鵬の33回目の優勝」だと(笑)。
宮城野・富山 へぇ。
福井 そういう度に、先の一連の話をするんですけど。でも、この話はずうっと横綱ご本人にお話ししたかったので、その夢が、たった今叶いました(笑)。
富山 わはは。でも、不思議だね。たまたま、そういうことがね。
宮城野 しかも、よりにもよって特別な二番でね。でもね、以前から私は、「人は多くの縁で繋がっていて、その不思議な縁が歩むべき道に導いてくれる」という考えを持っているんですよ。
福井 親方は、宿命と運命が絡み合った実に劇的な人生を歩まれてきたと思います。本日は、そのあたりに焦点を当てて、お話を伺えればと存じます。

父と家系に対する絶対的な尊敬
福井 お父上は、モンゴル相撲の大横綱であり、レスリング選手としてもオリンピックに5大会連続で出場。1968年のメキシコ五輪では銀メダルを獲得し、モンゴル初のメダリストとなるなど、国民的英雄でした。
宮城野 日本に来て父への尊敬の念を口にすると、なぜか不思議そうな顔をされましたが、私にとっては、ごくごく自然なことでした。私が6歳の1991年、当時協会理事長を辞められ相撲博物館の館長をなさっていた初代若乃花さんが、NHKの世界の相撲のルーツを辿る番組でモンゴルを訪れ、父と対談したんです。その時私は、若乃花さんからお菓子をいただきました。
福井 うまい棒!
宮城野 そうです! 当時、モンゴルが社会主義を破棄し民主化したため、国内に多くの日本文化が流れてきて、日本に興味を持ちました。衛星放送で相撲を観たり、母に『おしん』を半分無理やり観させられたりしました(笑)。あと観たのは『ラブジェネレーション』。知っています? キムタクさんと松たか子さんの。
福井 もちろん。『ラブジェネ』、月9ドラマですね!
富山 知らないなあ。

福井 富山先生は年代的に、仕方ないです(笑)。でも、もし社会主義のままだったらと考えると、そこは先ほどの話じゃないですけれど、もう運命というか。
宮城野 そうなんです。そうした流れの中、旭鷲山関ら6人の力士が1992年に来日して、大島部屋に入門します。しかし、旭天山関を除く5人が、夜中に部屋から脱走し、モンゴルに帰国するという出来事がありました。もう稽古に耐えられないって。
福井 大騒動になりました。
宮城野 モンゴルでもニュースになり、彼らを応援していた国民を失望させました。我慢強いはずのモンゴルの子ども達が耐えられなかったと。結局その時は、モンゴルまで来た大島親方に説得されて、全員再び部屋に戻ったんですがね。当時、私は7歳か8歳でした。
福井 しかし後にこの事件が、入門当初の白鵬関がどんなに稽古が辛くても部屋を逃げ出さなかった理由につながるんですよね。
宮城野 「モンゴルの大横綱の息子まで、辛さに耐えられず帰ってきた」と言われたら、父の顔に泥を塗ることになりますからね。帰りたいという気持ちはあったけれど、帰ってはならないと。
福井 辛かった稽古のお話は、また後程伺います。

「運と縁と恩」で決まった角界入り
福井 日本人の多くは、白鵬関が大いに期待されて角界入りしたと誤解しています。
宮城野 2000年10月、15歳の私は飛行機から生まれて初めて海を見て、来日しました。大阪で日本のアマチュア相撲の人たちと稽古をして、日本を視察するという2ヵ月のツアーでした。
福井 外科医であるお母様が、日本行きの話を聞いたのは、出発前日だったらしいですね。
宮城野 大反対すると考えた父が、直前まで秘密にしていたんです。案の定、母の反対は猛烈なものだったらしいですが、私を直接責めることはしませんでした。そのかわり私に「人間の右肩には父、左肩には母、額には師匠の魂が宿る、これを心に刻みなさい」と言いました。私は、来日するまで、外泊すら許されなかったんですよ。それどころか、父と母に挟まれて、川の字になって寝ていたんです(笑)。
福井 相当な「箱入り」ぶりですね(笑)。でも、当時のお母様の気持ちは、いかばかりかと。
宮城野 アマチュアといえども稽古は本格的なもので、私たちを見に、いろいろな部屋の親方が来ました。当時、既にモンゴル出身の力士たちが活躍していましたし、2年前に角界入りした朝青龍関も注目されていたからです。稽古が終わると、体の大きい子には続々と声がかかり、入門が決まって上京していきました。しかし、私には一向に…。このままモンゴルに帰れば、「あの偉大な横綱の息子が、力士になれなかった」と言われ、父の名前を汚してしまいます。日本語が話せなかった私は「I don’t want to come back.」と言って泣きましたが、何もできないまま帰国の日が近づいてきました。飛行機のチケットをもらい、両親にお土産を買って、「帰ります」と電話を入れました。
福井 それが、帰国前夜、思わぬ展開に…。
宮城野 そうです。4歳の時モンゴルの大草原で初めて会った旭鷲山関が、彼の師匠の大島親方にかけあってくれ、さらに大島親方が、仲の良かった当時の宮城野親方に「こういう子がいる」と話してくれたんです。宮城野親方が出した条件はただ一つ。部屋のモンゴル人力士の龍皇より歳が若ければいいと。声がかからなかった4人は、龍皇と同じ歳なんですよ。唯一、私だけが年下で。
福井 まあ言葉は悪いけれど、宮城野親方(当時)に拾ってもらったということですね。
宮城野 ちなみに龍皇は、今日大学まで車を運転してきてくれた彼です。入門当初から頼りになる先輩で、彼がいなければ現在の私はいないと思います。
福井 素晴らしいご関係ですね。
宮城野 現在、外国人は一部屋1人ですが、当時は2人まで許されたので、1 人が強ければ 1 人は弱くてもイイと。それと、宮城野親方は、小兵ながら努力で関取まで昇りつめた方です。だから寛大な気持ちで入門を許可してくれたのだと思います。でも、親方は私の体を見ていないんですよ。大阪にいる部屋のOBに、私を見にいかせました。親方に時間があって大阪まで来ていたら、私のことは選ばなかったんじゃないかな。
富山 これもまた面白い話だな。

福井 当時の白鵬少年の体は、175センチ、62キロ。ぴったり今の私なんですよ。
富山 へえ、そうなの。
宮城野 当時の62キロの写真を、もっと世の中に出して知ってもらいたいです。そうすれば、日本の子供たちも「僕でも頑張れば横綱になれるかも」と勇気を持てる。
福井 そのことから言うと、私でも横綱になれるってなりますね(笑)。
宮城野 ちょっと遅すぎますけどね(笑)。62キロしかなかったけれど、新弟子検査の規定では75キロなければいけない。師匠から2つの生活指導を受けました。一つは「食べたら寝る」、もう一つは「痩せちゃうから、稽古はするな」。富山さん、お酒飲みすぎて吐いたことあります?
富山 そりゃ、ありますよ。
宮城野 でも、食べ過ぎて吐くというのは、なかなか大変ですよ。
富山 それはないな(笑)。
宮城野 横になると気持ち悪くなるから、壁に手を当てたまま寝ろと。「お前吐いただろ」と先輩にはバレて、「もう1回食え」って。まさに食べる稽古ですよ。
富山 減量も辛いけど、それもまた辛いなあ。
宮城野 少し稽古しただけで、「上にあがっていいよ。フィニッシュ」みたいな。もっと稽古したいじゃないですか。嫌われているんじゃないかと思いましたよ。
福井 引退会見の時に、同席されたご師匠が「30年間で、こんなに基礎の稽古をした弟子はいない」とおっしゃったのが印象深いですが、それほど稽古熱心な白鵬関が、はやる気持ちを抑えて、食べ続けるのは辛かったでしょうね。
宮城野 部屋に来たのが12月23日です。で、入門が2月の中旬ですから、ほぼ1ヵ月半。この間に身長が5センチ伸び、体重が18キロ増えて。
福井 昔、『1・2の三四郎』というプロレス漫画で、主人公たちがガッと大きくなるシーンを読んで「そんなの現実には…」と思っていましたが、この話を聞くとあり得るんだなと(笑)。
宮城野 寝ることに関しては、全く問題ありませんでした。最高は、1日18時間。
福井 18時間! 私もいつでもどこでも寝られるけど、さすがに18時間は…。寝るのって、才能ですよね。前回の対談が、将棋の元名人 佐藤天彦九段とだったんですが、私に「福井先生、寝る才能があるから将棋向きですよ」と(笑)。将棋は長いと1局で丸2日とか頭使いますからね、パッと寝られないと。
宮城野 先輩たちは昼も夜もちょっと出掛けるんですが、その間ずうっと私は寝ている。私は、あまり寝返りをしないみたいなんですよ。先輩たちが帰ってきても、同じ姿勢で寝息も立てず寝ているから、「おい、白鵬死んでるんじゃないか」と。
福井 ははは。「赤ちゃんは寝るのが仕事」って言うけれど、まさに「食っちゃ寝」が仕事だったんですね。一方、幼少の頃、その後相撲界で生きていくうえでも貴重な「腹が減る」という体験を得たというお話にも、感銘を受けました。
宮城野 家は大都会のウランバートルにあって、冷蔵庫を開ければすぐに何でも食べられる環境だったんですけど、父の兄と妹が遊牧民だったので、夏休みの1ヵ月間大草原に行かされました。そこでは、肉を入れたご飯が1日1回だけ。朝、昼はヨーグルトを飲んだりチーズをかじって誤魔化す感じで、1日中働くんですよ。雨の日だろうが陽が出ていようが関係なく、ずっと放牧している羊を見ていないといけない。狼が来ちゃうし、他の家の羊と混ざっちゃうと分けるのが大変なんです。遠くに行って水を汲んできたり、木のない草原で燃料にするための牛と馬の乾いた糞を集めたり。毎日その繰り返しでしたね。モンゴル相撲の偉大な横綱の息子であっても、その民族のルールがあるから、それに従う。「人間が食べていくためには果たさなければならない義務と責任があるのだ」ということを、自然と学びました。
福井 モンゴル大草原での「腹が減った」体験と、真逆の入門時の「食べ続けるキツさ」の両方を味わっていらっしゃる。
宮城野 キツかったけど大自然の中で我慢を覚え、精神的、肉体的に鍛えられました。そこには、私という人間を培ってくれた原風景が拡がっています。

負け越しから始まった相撲人生
福井 そして、デビューの場所を迎えるわけですが、序の口で最初に3勝4敗で負け越し。歴代横綱で、序の口で負け越した人はいないんですよね?
宮城野 それが、他に2人もいたんですよ!
福井 あれ? 以前の会見で、最初だと。相撲ファンから苦情が来たんですか?
宮城野 いや、その後、自分でちょっと調べたんですよ。そうしたら、冒頭でお話しした初代若乃花さん、私の師匠の師匠である横綱吉葉山、そして私と3人もいたことが判明(苦笑)。横綱昇進時の会見で「自分が最初」って話しちゃって…恥ずかしくて、唯一消したい過去なんですよ。
福井・富山 (大爆笑)
宮城野 でも、その16歳のデビュー場所と、17歳の三段目で負け越しただけで、そこから負け越したことがないんです。
福井 凄い! でも、最初の頃は1日3回泣いていたと。
宮城野 稽古場で2回泣くんですよ。一番キツい「ぶつかり稽古」を、毎日30本やっていましたから。苦しくて泣いて、終わった時先輩に「お前のためだからな」とポーンと肩を叩かれ慰められ、そこでまた泣く。そして夜は布団の中で、明日またあの稽古が始まるんだと思って泣いちゃう。で、音楽聴いて、心を落ち着かせたんです。先輩に、日本語を勉強しろと言われてCDをもらったんですが、それが、夏川りみさんの『涙そうそう』。付属の歌詞カードを全部丸暗記したんです。分からない漢字は、歌を聴いて、ああこういうふうに読むんだと。親元から離れて歌を聴くことは、明日も頑張ろうという原動力になりました。やっぱり音楽というのは素晴らしいなと、余計感じましたね。
福井 それが、音楽の力ですね。

宮城野 そして、本当にいい師匠につき、いい部屋に入ったなと。最後の最後まで声がかからなかったけど、「残り物には福がある」というのは、こういうことなんだろうなと。
福井 きっと師匠の方こそ、そう思われてますよね。まさか、この子が45回も優勝するようになるとは、と。
宮城野 ある先輩関取が、私が入門した時、師匠に「この子、お相撲さんは無理じゃないか。床山さん(力士の髷まげを結い上げる人)にしたほうがいいんじゃないか」って言ったんです。その1年半後、同じ先輩が「親方、この子、最悪でも役力士まで行くんじゃないか」と。そのうち「いや、横綱まで行きますよ」。やっぱり肌を合わせているから、日に日に強くなっているのが分かるんでしょうね。体重が増えていき、日本語も上手くなっていくと、勝っていくんですよ。
福井 ちょっと私、聞きたい話があるんです。奥様と出会って、ラクーアに初デートに行かれたと。普通は初デートでラクーアには行かないですよね(笑)。富山先生、ラクーアって、東京ドームシティにあるスパなんですけど…。
富山 ああ、行ったことありますよ!
宮城野 行ったのは、スパじゃなくて遊園地ね。
福井 ああ、遊園地の方! 本が間違っているんだ(笑)。それは、目立ったでしょうね。
宮城野 帽子をかぶって…。
富山 帽子をかぶっても分かるでしょう。
宮城野 その時は、まだ十両に上がった頃で、体重も130キロしかなかったから。
富山 それでも目立つと思うけどな(笑)。
福井 130キロだと、乗り物の体重制限にひっかからなかったですか?
宮城野 確か145キロだったと思います。だからギリギリでした。初デートだし、手を握りたいでしょ。だから、お化け屋敷に行ったわけ。
富山 怖くて飛びついてくるからね(笑)。
宮城野 そうそう、まさにそれを狙って(笑)。女性と付き合ったことなかったし、相撲なんて男社会じゃないですか。同期の力士が、「これを見て勉強しろ」と言ったのが、『冬のソナタ』で。今から考えると、とても恥ずかしい台詞を真似ていました(笑)
横綱の栄光と苦悩 ── 朝青龍からの電話
宮城野 関脇までは本当に相撲が楽しくて。毎場所、早く来いと思っていました。でも、大関、横綱になってからは、マスコミの前で「楽しい」という言葉を使うのを止めたんです。楽しいこと、ひとつもない。
富山 勝って当たり前だからね。「楽しむ」という心境ではないよね。
福井 横綱は、大関には落ちないですからね。負けたら引退しかない。
宮城野 昇進した時に、故大鵬親方(元横綱大鵬)に「横綱になったら、常に引退のこと考えなさい」と言われ、聞かない方が良かったと思ったくらい、衝撃を受けました。

福井 怪我をされてからは、色々批判を浴びました。「ただ勝てばいいんじゃない、横綱としての品格を持て」と。でも、品格=勝ち方だとしたら、道徳と戦術という本来相容れない要素を、土俵上で両立させなければいけない。それが横綱という地位の困難さですよね。「勝つだけではいけない」という制約の中、勝ち続けなきゃいけない。
宮城野 いま大関だったら横綱は狙わないですね(笑)。
福井 長らく親方と2人で相撲界を牽引した朝青龍関が辞められた時、親方が記者会見で「信じたくない」と感極まり終始涙声だったのを拝見し、とても感動しました。
宮城野 あまりに突然でしたからね。朝青龍関は、乗り越えなければいけない壁、最大のライバルでした。私が横綱になってからは、ほとんど直接言葉は交わしてないんだけれど、横綱としての重圧と責任を分かち合える存在がいなくなったというか。たとえ言葉を交わさなくても、いてくれるだけで、大きな存在でした。
福井 栄光と苦悩を共感し合える存在ですね。

進退を賭けた場所で塩撒きをする白鵬関。全勝による奇跡の復活で45回目の優勝を決め、現役最後の場所を飾った(2021年7月14日ドルフィンズアリーナ)
日本相撲協会提供
宮城野 逆に、去年私が引退した時、朝青龍関から電話がかかってきて、4時間ですよ、4時間も話しました。
福井 連絡があったという話は読みましたが、そんなに長く! それは感動です。
宮城野 電話自体、初めてです。
富山 やっぱりモンゴル語で話すんでしょ?
宮城野 日本語も挟んでね。
福井 頂点に立ったものだけが知る、光と影。私は朝青龍関も大好きなんです。親方同様、相撲内容の魅力だけでなく、発言やサービス精神からくるそれに惹かれました。さて、次回後編でも引き続き「宿命と運命」をテーマに、相撲の奥深さ・魅力、教育論など盛りだくさんの内容のお話を伺います。

(2022年10月発行 MUSASHINO for TOMORROW Vol.141 より)