福井直昭学長 対談

坂東玉三郎×福井学長特別対談2

歌舞伎役者・本学特別招聘教授 坂東玉三郎×武蔵野音楽大学学長 福井直昭特別対談

小さな機械の問題点

福井 いまの話に関連するかもしれませんが、クラシック音楽界にも、客層が高齢者に偏っているという危機感があります。若者離れの状態が続くと、音楽家を志す人間も増えない。それでなくても現代には娯楽があふ
れています。そうした中で、音楽や舞台といった、時と場所を限定した瞬間芸術というものが、今後どのようになっていくとお考えでしょうか。

玉三郎 難しいですね。一番問題なのは、昨今はスマートフォンなどの「小さな機械」で聴いて良しとしてしまうこと。小さな機械で聴いて、それで本物を体験したと誤解してしまうことです。本物のコンサートホー
ルで聴いたような気になってしまう、その勘違いが一番難しいところですね。

福井 音大生も、玉石混交ともいえるYouTube などで聴くことが多く、もうCD はあまり聴かないですね。そのCDすら、生音ではないのですが。なかなか演奏会まではたどり着きにくい。だからこそ、大学の先生の指
導が重要になると思います。

玉三郎 生の音、実音にどれだけ触れるかということですね。実音ではないものを聴いて、実音はどういうものか興味を抱くきっかけになっていただければ良いのですが、そこがつながらないというのが問題点だと思います。ただ一方で、パソコンであったり、スマホであったりというものが“飽和状態”になって、近年は実音を志向する若者が少しずつ増えてきているような気もしています。そうした人たちがいる限り、自分を見失わずにしっかりやっていればこちらに目を向けてくれるし、耳を傾けてくれるのではないでしょうか。実際、歌舞伎界でも、能楽界でも、落語界でも、クラシック音楽界でも、若者を取り込もうということは、最初からやっていたと思うんです。

福井 その時代、時代で、そういった試行錯誤が重ねられてきたのでしょうね。

玉三郎 ただ、若者だけに分かってもらうのではなく、究極は万人に分かってもらうことを目指すべき。誰に向かって作るのか、どの世代に向かって作っていくのかというのは、あまり考えない方がいいと思います。例えば雑誌の場合は、今どういう層に読まれているのかを聞いて、じゃあその年代に向けて発信しましょう、というのはあるでしょう。でも自分の芸術作品を、ある世代に合わせるなんてことは出来ないと思うんです。

福井 おっしゃる通りです。ただただ、真理を追求するということですね。何かの本で読んだのですが、玉三郎先生はいわゆる「上下関係」というものがあまりお好きではない。上の人に言われたからではなく、誰に
言われたかが大事だと。

玉三郎 そう思います。ただ、上下関係での礼儀作法は当然あります。人間が生まれて成長して、年寄りになっていく中での上下関係というものは無視できないものなんだと思います。けれど、ものを作るという上での真髄、本当の魂、力というものは、上下、前後、左右では考えられない。

福井 それはスポーツでも何でも同じですね。日常の礼儀はあるけれど、いざ試合が始まったり、幕が開けば、そんなことは関係ないと。遠慮などしていられない。

玉三郎 本当の自分の芸術的精神というものは、(上下などの)位置ではないです。

福井 作曲家だって、先輩に遠慮して曲を書くわけでもないでしょう(笑)。

玉三郎 そういう人もいたでしょうが(笑)。でも、彼らがどの世代に向かって曲を作ったなんてことはないでしょう。

福井 だからこそ、それらの音楽がもつ普遍性が存在するのだと思います。ただ、作曲家たちが、偉大なる先人たちの作品を大いに分析したことは間違いないです。

玉三郎 それはそうでしょうね。

福井 登場人物の悲しみや喜びを共にし、時代を経ても変わらない人間の姿に感動する──これこそが優れた歌舞伎作品に触れる醍醐味であり、傑作と呼ばれる音楽作品を聴いたときに感じる幸福感と同様なので
しょう。

往年の名指揮者、カルロス・クライバー氏と
往年の名指揮者、カルロス・クライバー氏と
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