将棋と音楽 ―― 時代を超えるその普遍的物語
“貴族”というニックネームを持つトップ棋士がいます。28歳のとき、羽生善治氏を破って将棋界最高峰のタイトルである名人位を獲得した佐藤天彦九段がその人。クラシック音楽をこよなく愛し、バロックやロココ調の家具に囲まれて暮らし、黒を基調に中近世ヨーロッパを彷彿とさせる装飾の施されたベルギーのファッションブランド、アン・ドゥムルメステールの服を着る── そんなスタイリッシュな生き方を貫く姿勢が愛称の由来とされています。
いっぽう本学の福井直昭学長は、野球や格闘技を始めとしたスポーツ全般への深い造詣に加え、将棋は現在、日本将棋連盟公認アマチュア五段の腕前。6月には天彦九段から指導対局を受け、本対談のわずか10日後には、将棋の聖地「将棋会館」において、天彦九段とCS番組の収録のため本格的な対局を行いました。
将棋と音楽という共通のジャンルに深く関わり、ご自身の専門分野以外にも鋭くアンテナを張りながら、ファッションやライフスタイルに強いこだわりを持つお二人が、ズバリ「将棋と音楽」をテーマに熱く語り合いました。なお、対談の舞台はいよいよ来年4月に一般オープン(予定)する本学楽器ミュージアムです。
(2021年9月5日実施)
INDEX

    一つのことを突き詰めた上で

    福井 6月の長野での指導対局は、有難うございました。

    天彦 あの時、福井先生が、角を取られたあたりの局面で、さらに銀を捨てて飛車を成り込んで勝負するところに、難局に遭った時にこそ、あえて踏み込むような鋭さを感じました。普通は押し込まれ始めると、それに応じて引く選択をしてしまうことが多いので、ああいった場面で切り返してきた福井先生の将棋は、印象に残っています。

    福井 覚えていていただいて、恐縮です。来週の将棋会館での対局(CS番組「お好み将棋道場」収録)も、よろしくお願いします。特別なシチュエーションに、今からドキドキしています。

    天彦 福井先生らしく、伸び伸びと思い切りよく指されてくださいね。

    普通は押し込まれ始めると、引く選択をしてしまうことが多い中、切り返してきた福井先生の将棋は、印象的でした。

    第76期名人戦七番勝負第6局で挑戦者 羽生善治 竜王(当時)を破り、名人3連覇を飾る( 2018年 6月19 、20日 於:山形県天童市「天童ホテル」)

    福井 リベンジなどと気負わず(笑)、でも頑張りたいと思います。さて、天彦先生の趣味がクラシック音楽であることはあまりにも有名ですが、まずはそのきっかけをお願いいたします。

    天彦 小学生の頃も、両親に連れられて第九の演奏会などに行ってはいたのですが、中学生になって、福岡から大阪まで「奨励会」というプロ棋士の養成機関に通うようになり、その帰りの新幹線の中ラジオで聴いたドヴォルザークの『新世界より』に刺激を受け、クラシックに目覚めました。

    福井 お気に入りの曲をお聞かせください。

    天彦 いつでも気持ちよく聴けるのは、モーツァルトの『交響曲第41番ジュピター』です。リラックスしたい時は同じくモーツァルトのピアノ協奏曲、特に17番。集中したい時は、ブラームスの交響曲、特に第1番を選ぶことが多いです。

    福井 音楽を聴きながらの集中は、難しくないですか? 私はもちろん平気ですが(笑)。

    天彦 研究に集中すると、徐々に音は聴こえなくなってきます。逆に対局中に、それがいいことかはわかりませんが、その場面場面に応じた曲が頭の中で流れることもあります。また、負けが込んだ時も、選び抜いた音楽はすぐに気分を変えてくれますね。

    福井 天彦先生はピアノを習っていたんですよね。

    天彦 中学生の時にヴァイオリンを買って貰ったのですが、将棋が忙しかったこともあり習うまでには至りませんでした。でも、いつか楽器を習いたいという気持ちはずっと持ち続けていて、22歳の時に念願が叶ってピアノを習い始め、5年間ほど続けました。

    福井 22歳というと、プロ4年目。習い始めたのには、何か理由が?

    天彦 当時、私は若手の棋士として上を目指していたわけですけれど、同年代で私よりも活躍している棋士がいる中で、なかなか壁を突破できずにいたんですね。そんな時、これからの人生で将棋だけに傾注するのは少し寂しいなと感じ、ピアノを習おうと決心しました。そして、ピアノを始めてからそれほど時を経ずに、自分でも不思議な感覚でしたが、将棋の結果が出始めました。

    天彦九段「Blu-rayで拝見した福井先生の2017年の新キャンパス竣工記念コンサートの舞台は、ここだったんですね。あれは実にいい雰囲気でした!」(於:べートーヴェンホール)

    福井 音楽を学ぶ者は、作品の背後にある時代背景について、また、絵画や彫刻などの諸芸術・文学・宗教など音楽に関わりのある分野について、勉強する必要があります。しかし誤解を恐れずに言うと、私はバックグラウンドを勉強したからといって、曲の解釈が即時的に、劇的に変わることはないとも思っています。ただ、音楽に関わる領域のみならず、様々なフィールドにおける知識・体験から長い時間を経て培われた感性といったものは、絶対に演奏に役立つと感じています。

    天彦 福井先生と坂東玉三郎さんの対談(本誌Vol.135)の中でもおっしゃっていましたね。あれ、すごく面白かったです。

    福井 要は、日々一つのことをとことん突き詰める努力をする一方で、1日24時間あるのだから、時間を上手く使い、人間としての幅を拡げるために様々なことを経験しなさいということですね。

    天彦 おっしゃる通りだと思います。私も将棋というメインになる部分がある一方、それ以外の色々な分野のことを学んだり、楽しんだりすることで、もちろんそれらが直接将棋の技術に転化されるわけではありませんが、人生を総合的に見たときに豊かになれるし、なにより自分自身が幸せに感じられていると思います。逆に、作曲家も、例えばストラヴィンスキーなどは、作風が時期によって全く違いますが、ミクロな視点で見れば、その時期ごとに特定の作風をとことん突き詰めています。つまり、一つの事を徹底的に掘り下げることで、後々色々なことにチャレンジしやすくなるのではないでしょうか。

    福井 天彦先生は、名人という頂点に登りつめるところまで将棋を極められたからこそ、そういう心境になられたのでしょう。棋士はスポーツ選手のように若くして引退ということもありませんから、その棋士人生はいわば終わりなき戦いですよね。そうした中で、専門以外の分野にも目を向ける意義は大きいと思われます。そういえば、私、最近サックスを始めたんです。

    天彦 えっ、そうなんですか。

    福井 まだ僅か1か月ですけど(笑)。輝かしさと柔らかさを兼ね備え、あらゆるジャンルの音楽に対応できるのが魅力的で、ずっと憧れていたんですよ。

    天彦 なるほど。サックスで、クラシックとは別ジャンルの曲に挑戦したいと。

    福井 もともと洋邦新旧問わずポップスやR&B、ロックなども大好きなんです。ちなみにマイケル・ジャクソンのステージを、国内で7回、ドイツで1回、計8回、生で観たのは自慢です(笑)。古今東西に好きなアーティストがいて、中でもサックスを重用している歌手やバンドが多いんです。例えばビリー・ジョエルとか。あっ、そういえば天彦先生と同じ福岡出身の「チェッカーズ」は、知りませんか?

    天彦 分からないです。すみません。

    福井 世代が違うんですね。しつこいですが、ボーカルの藤井フミヤさんは知らないですか? 藤井聡太さんではなく(笑)。

    天彦 ああ、名前くらいは分かります(苦笑)。

    福井 話を戻して(笑)、でも、どうして始めたのかというと、仕事に追われる日々において、自分自身のピアノの練習までこなすのは正直かなり辛いのですが、「やるべきことをやった時だけ、その後将棋やサックスができる」──そう決めていると、仕事やピアノの練習に対する意欲が湧いてくるんです。

    天彦 確かに、生活にハリが出るというか、メインの仕事にも良い影響を与える相乗効果があるような気がしますよね。

    福井 私にとっての学長や教授としての仕事は、どれだけ役に立てているかはわかりませんが、大学、学生、教職員のため。ピアノの練習は、自分のためではあるけれど、仕事の一部です。でも、将棋やサックスは気楽にできる趣味。下手なりに「良い手が指せた」、「良い音が出せた」とか、日常にそういった喜びがあることで、全体のバランスが取れているような気がします。ただ、来週の天彦先生との対局は、趣味の領域を超えてますけど(笑)

    お二方で天彦九段のフェイバリット・ブランドの「アン・ドゥムルメステール」を着用して(於:ブラームスホールホワイエ)

    将棋・音楽と人生 ── 「人間同士の」将棋の魅力

    福井 演奏は(ソロなら)一人、将棋は対局者がいるという点で大きく違うものの、時間を戻すことはできない、ミスを消しゴムで消せない、それは両者似ている部分ですよね。ただ、将棋には考える時間がある、それに反して演奏は始めたら立ち止まることができない。

    天彦 たしかに将棋にも「持ち時間」というものがあって、時間を気にしながら指しているわけですが、楽器の演奏ほど時間に追われているわけではありません。実は2回、ピアノの発表会に出たことがあるのですが、リハーサルの時から指が震え、ここまで緊張するのかと、自分自身で驚いたほどでした。焦って、一度家に練習しに帰りました(笑)。

    福井 ピアノは、10本の指で弾く音の量からくる暗譜に対する恐怖心がありますからね。

    天彦 そうか、圧倒的な情報量を前に、緊張したんですね。どうやら棋士と演奏家には「ミスをした際にどのように気持ちを保つのか」という共通の精神構造が必要な気がします。

    福井 それも発表会に出られたからこそ、感じられたことですよね。ミスしてもやり直せないという点では演奏も将棋も同じですが、将棋の対局でマズい手を指してしまうことは、一つのミスが負けに直結するだけに、より厳しいと思います。

    天彦九段「実は、他の人が『アン・ドゥムルメステール』を着ているのを初めて見ました(笑)。福井先生、お似合いですね!」

    棋士と演奏家には「ミスをした際にどのように気持ちを保つのか」という共通の精神構造が必要な気がします

    天彦 確かにミスがもたらす結果には、興味があります。演奏者がミスをしたとしても、1、2時間の演奏会の中で「ああ、あのミスが痛かったな」というような印象を与えなければ、良いというか構わないというか、そういうことってありますよね。

    福井 将棋と違って、演奏に勝ち負けはありませんからね。それと、プロともなれば何度もミスをするということはありませんが、例えミスしたとしても、聴衆としては、それ以上に(修正が可能な)録音とは違う、生の音の素晴らしさ、いま演奏者と同じ空間にいる幸福感の方が勝るのではないでしょうか。まあ、ミスの大小によりますが(笑)。ライブ感といえば、一昨日の朝から昨日未明まで日を跨いで行われた菅井竜也八段との対局(名人戦A級順位戦)のモバイル中継。熱戦に感動いたしました。結果は、天彦先生にとって実に惜しい敗北だったのですが、2人の棋士が焦りや苦しさを乗り越えて戦う姿、おそらく逆転負けが見えたであろう天彦先生の表情、仕草。また、先生のその後の手には、一体どのような思いが込められているのか。一喜一憂しながらも、いろいろ想像力を働かせることで、少しばかり先生の感情を共有できたような気がしました。

    天彦 ありがとうございます。そこを評価してもらえるのは、対局者冥利につきます。時間に追われたり、あまりにも難しい局面など、いついかなる時も最良の手を指し続けるのは難しい。時には手痛い失敗もしながらも、こうした選択を積み重ねることで勝利を目指していく将棋は、観ている人の感情に訴えかけることのできるエンターテインメントです。

    福井 それこそが将棋の醍醐味ですよね。我々ファンは人間ですから、AIではない、生身の人間が長時間に渡り困難に挑む姿に共感し、惹きつけられます。もちろん今回は「勝って気分良くこの対談にいらして欲しい」という気持ちから、余計、天彦先生に感情移入したのかもしれませんが(笑)。

    天彦 苦しい場面で奮闘するのは辛いですし、いいところまで持ち直したのに、結局負けてしまったらダメージが大きいものです。それならいっそ、悪くなったらさっさと諦めて、次の対局に向かった方が精神的にも良いという考えも勿論あるでしょう。棋士の中にも、私のように諦めの悪い方もいる一方で、さっさと投了(対局者が負けを認めて相手に伝えること。その時点で対局が終わりになる)してしまう方もいらっしゃいます。

    福井 いわゆる「早投げ」というやつですね。

    天彦 はい。早投げした方が、ツキが貯まるという価値観もあり、そういう信条からすると、必死に粘る姿は往生際が悪くて見苦しいということになります。確かに相手の言いなりになって、あたかも土下座をするような手を指さなければならないこともあります。しかし、簡単に投了せず、そんなふうにボロボロになりながら戦い続けることを、私は全く厭いません。むしろ形勢が悪くなってからが本番だとさえ感じます。

    福井 まさに天彦先生の大好きな『宇宙戦艦ヤマト』の世界観ですね(笑)。

    天彦 登場人物の感情の揺れ動きやヤマトの戦う姿勢は、私の心の幼い部分に共鳴して、いまでも勝負師としての美意識となっています。実際不利な状況の対局中も、ヤマトを自分に重ね合わせて気持ちを奮い立たせたこともありました。

    バロック・ロココ様式を愛する天彦九段。ロココ調デザインの「モーツァルトホール」にて

    福井 私は学生に「演奏中に緊張し不安な気分になった時は、『何のためにこれまで練習してきたのか? 今みたいな緊張状態になるからこそ、練習を積んできたのではないか』と自問自答し、自らを奮い立たせなさい」と指導しています。実は私たちの毎日も、将棋や音楽と同じで、後戻りのできない選択の連続なのかもしれませんね。

    天彦 今日何を食べるか、誰と過ごすか、どんな言葉を発するか。選択を重ねることで山あり谷ありの物語を作っていくという点で、将棋と人生はとても似ていると思います。さらに言えば、その人の人生選択、その人の美意識が、結局のところ将棋の戦法のような具体的なところにもつながっていく、投影していくというように思われます。

    福井 過去の選択の蓄積が今の自分を形成しているのだから、先程の話のように、なるべく色々なことを体験することが大事だなとあらためて思いますね。結局自分以外の違う人間になることはできないし、人生の諸々において、その時点で良いと思って様々な選択をしてきているわけで、他の選択をしていたらどうだったかなんて考えても意味がない。

    天彦 そうですね。

    福井 棋士も演奏家も、一人ひとり壁をどう乗り越えてきたか、自分なりの葛藤を経ることで、棋士なら固有の凝縮された勝負勘、演奏家なら芸術感を身に付けるのだと思います。将棋の盤上で、あるいはステージで、人間性も含めそれらを嘘偽りなくさらけ出して戦う、演奏する。これこそ、本学の教育方針である「音楽芸術の研鑽」と「人間形成」の関係に通じるものだと思います。

    建築にも造詣が深い天彦九段。「地下と1階が一体となったこの空間は、ヨーロッパの広場を彷彿させますね」

    “人間”が宿る創造物 ── 「棋譜」と「楽譜」、「名局」と「名曲」

    福井 将棋で、それぞれの対局者が指した手を順番に記入した記録を、棋譜といいますが、いみじくも棋譜の「譜」と楽譜の「譜」は同じ。棋譜を残した対局者は、いわば音楽における作曲家です。天彦先生もご著書の中で「将棋は物語のようなもの。棋譜は対局者同士がつくる作品」とおっしゃっていますが、良い棋譜を残したいという思いは芸術的感覚、創造的意欲からくるものなのでしょうか?

    天彦 それは色々と絡み合ってくるものだと思います。将棋は勝者と敗者に分かれる残酷なゲームですので、最終的には勝ちを目指すのは当然です。しかし、ただ勝てばいいという考えは、私が目指すところとは少し異なります。先ほどの話にも重なりますが、勝敗という価値観「だけ」に軸足を置いていると、劣勢の局面では苦しいことしかないわけじゃないですか。ただ、将棋をゲーム、つまり「楽しむためのもの」というスケールの価値観で把捉すれば、優勢な局面だけが将棋の楽しさじゃないわけですよね。劣勢の局面も、そこでどのように局面を長引かせるかとか、相手に対して脅威になる勝負手を突き付けるかとか、そういったことを考えたら、実はものすごくワクワクする局面じゃないかと。そこでモチベーションが高まって、良い手が指せる。勝ち負け以外の視座、つまり悪い局面でさえも美しいと捉えることができる美意識が、結果、局面の打破から巡り巡って勝ちに結びついていく。このことも、最終的には勝敗に収束するという固有性をもつ、将棋の複合性というか、魅力なのだと思います。

    和紙はボコボコしていて筆がついてこないので、かすれてしまいがちなんですが、これはよく書けてる方です(笑)

    勝ち負け以外の視座、つまり悪い局面でさえも美しいと捉えることができる美意識が、結果、局面の打破から巡り巡って勝ちに結びついていく

    福井 例えが拙いですけど、野球観戦だって、10対0のまま終わるより、たとえ負けても諦めなかった結果の10対9のほうが面白いし。

    天彦 そうなんですよね。どう転ぶか分からないほうが面白い。

    福井 天彦先生がこうした考えに至ったのは、昔から将棋に限らずさまざまな価値観に触れて、視点を多く持つことを意識したからでしょうね。だからこそ勝利にだけ固執するのではなく、他の尺度でも考えられたというか。

    天彦 「勝つためには、勝ちたいという気持ちから離れる」という一見矛盾しているように見える方法は、結局目の前の我欲から離れるということです。人に勝ちたい気持ち、名誉欲、金銭欲などは、誰だって多かれ少なかれ持っているものです。しかし、思考をそこから切り離し深い集中に至れた時こそ、勝利を手繰り寄せられるような気がしています。

    福井 そうですね。演奏でも「うまく弾いてやろう、人から褒められよう」などと欲をかくことは、間違いなく緊張につながります。あっ、たった今、このことを来週天彦先生と対局する自分自身への戒めとして、心に刻もうと思いました(笑)。さて、そのような思考過程を経て、棋譜が「作品」として完全に残るわけですが、天彦先生がまだ下位のクラスにいた頃は、今と違ってモバイル中継などが充実しておらず、ファンに棋譜を見てもらえないのが辛かったとか。

    天彦 そうなんですよね。その内容を一顧だにされることなく、白か黒の結末だけで判断されるのは辛いことで、今トップクラスで戦っていて嬉しいのは、たとえ自分が負けた対局であっても、先ほどの福井先生のように「感動した」という声をいただけることがたくさんあって、これは精神的には全然違います。

    福井 様々な信念、人生観が投影され創造された将棋における「棋譜」と、音楽における「楽譜」。あまたあるそれらの中でも、人の心を揺さぶる特に優れたものが、それぞれ「名局」「名曲」として後世まで語り継がれ、また演奏されていくのだと思います。次回は、将棋AIの功罪やファッションなどについてお聞きします。

    J:COM、スカパー!、CATVなどで視聴ができる「囲碁・将棋チャンネル」の「お好み将棋道場 第279回」。福井学長が佐藤天彦九段に果敢に再挑戦した勝負の行方は如何に!?

    (2021年10月発行 MUSASHINO for TOMORROW Vol.138 より)
    写真提供:日本将棋連盟

    (特別対談 後編へ続く)
    佐藤 天彦(Amahiko SATO)

    佐藤 天彦(Amahiko SATO)

    1988年福岡県生まれ。中田功門下として1998年に奨励会入会。2006年プロ入り。2008年第39期新人王戦で棋戦初優勝。2011年同棋戦で2度目の優勝。2016年第74期名人戦にて羽生善治氏を破り、史上4番目の若さで名人位を獲得、九段昇段、以後3期連続名人位。2016年第2期叡王戦優勝、2018年第26期銀河戦優勝。将棋大賞は2015年度に最多勝利賞・最多対局賞・連勝賞・名局賞・敢闘賞の五部門を獲得。2016年度には最優秀棋士賞を受賞。クラシック音楽、ファッション、ヨーロッパの文化等に造詣が深く、「貴族」の愛称を持つ。

    福井 直昭(Naoaki FUKUI)

    福井 直昭(Naoaki FUKUI)

    1970年東京都出身。慶應義塾大学卒業、武蔵野音楽大学大学院修了、ミュンヘン音楽大学留学。ピアニストとして国内外で20を超えるオーケストラと協演し、クロイツァー賞、ブルガリア国際コンクール「Music and Earth」全部門グランプリ、ハンガリージュール市記念シルバーメダル、下總皖一音楽賞等受賞。現在、武蔵野音楽大学理事長・学長の他、日本私立大学協会常務理事、全日本音楽教育研究会会長等を務め、学内のみならず多くの機関において重要な役割を果たす。また、教授として優秀なピアニストを多数世に輩出するほか、マスメディアへの登場も多く、音楽文化を教育・研鑽する大学の長として、音楽の枠に留まらない発信を常にし続けている。

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