福井直昭学長 対談

宮城野親方(元横綱白鵬関)× 福井学長 特別対談(前編)1

特別ゲスト:富山英明(日本レスリング協会会長・1984年ロサンゼルス五輪金メダリスト)

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 昨年9月、幕内優勝45回・通算1137勝など5つのギネス認定をはじめとする数々の前人未到の記録を残し引退した元横綱白鵬関。本年7月には年寄「宮城野」を襲名し、後進の指導に当たっています。本号から2回にわたる福井直昭学長との対談は、昨年10月に日本レスリング協会会長に就任した本学園評議員 富山英明氏(1984年ロサンゼルス五輪金メダリスト)をゲストに迎えるという豪華なものとなりました。ここ数年でそれぞれ新たなステージに立った御三方による充実のスペシャルトークをお楽しみください。

夢心運 ―

― 宿命と運命に彩られた相撲人生(前編)

特別な二番を観戦

福井 親方、本日は御来学いただき、誠にありがとうございます。共通の知人である富山先生にもお越しいただきましたので、鼎談(ていだん)という形でお話をしようと思います。

宮城野 富山先生は、行司ですね(笑)。

福井 「行司差違え」のないよう、お願いいたします(笑)。さて、親方とは子供同士が小学校時代の同級生という関係ではあるものの、今日が初対面なんですが、実は過去に接点があったという映像を、まずは見ていただきたいと思います。

 

※福井学長がタブレットを取り出して、2つの取り組みの映像をお見せする。ひとつは、平成18年5月場所、白鵬が優勝決定戦で雅山を破って幕内初優勝した際のもの。画面中央の砂かぶり席に、ポロシャツ姿の福井学長が見える。ふたつめは、平成27年初場所の13日目、白鵬が取り直しで稀勢の里を破り歴代最多33回目の優勝を決めた際のもの。土俵から下り、花道から支度部屋に戻る白鵬の肩をポンポンと叩いて祝福する福井学長の姿が大きくはっきり映っている。

 

福井 初優勝と33回目の優勝は、親方にとって特別なもののはずですが、まずは初優勝が決まった一番、この砂かぶり席でボーダーのシャツを着ているのが私です。

宮城野 おーっ、若い! おいくつの時ですか?

福井 35ですね。横綱が勝った時、大喜びしています。

宮城野 へぇー。でも、この席は本来手を叩いてはいけないんですよ。

福井 そうなんですね(苦笑)。でも、これで私が白鵬ファンだったということが、まずは証明できました。

宮城野富山 (爆笑)

福井 私、この席に座るのはこの日が初めてだったので、我ながら持っているなと(笑)。そして、とっておきの次の映像は、それまでの大鵬関の記録を破る歴代最多33回目の優勝がかかった一番です。取り直しの末に完勝したこの瞬間には、私はまだ画面に映っていません。この日は花道のすぐ脇に座っていたんですが、この後、図々しいことをしてしまうんです。(ニュース速報テロップが流れる中、白鵬関の肩を叩く学長がアップで映る)これ、私!

宮城野 おーっ!

富山 わははは(爆笑)。笑っちゃうね。

宮城野 隣の人は奥様ですか?

福井 この人は全然知らない方で、多分後ろのマスの…

富山  隣は内緒です(笑)。

宮城野  だいぶ年上だったよ(笑)。

富山 年上好みだからね(笑)。

福井 勝手に話を進めないでください(笑)。つまりご覧いただいたように、史上最多優勝を世界で一番最初に祝福したのは、何を隠そうこの私だったと(笑)。ところが、この後すぐに友人たちからすごい量のLINEが来たんです。「テレビで見たよ!」と、まるで私が優勝したみたいに(笑)。誰にも観戦の話はしてないですよ。平日だったので、できたら隠れたいくらいじゃないですか。自分から肩を叩いておいて何言ってんだ、という話ですが(笑)。とにかく、これははしゃぎ過ぎたと反省し、一緒に観戦していた妻から、親方の奥様(紗代子夫人)へ「いま福井が映り過ぎてしまったようでスミマセン」とメールさせて頂いたんです。すると、すぐに奥様から返事が来て、「いま、私もテレビで(福井さんの)ご主人を拝見しました」と。奥様は私の顔は知らなかったのに(笑)。

宮城野富山 (爆笑)

福井 さらに後日談があるんですけれど、親方が国技館からご帰宅され、ニュースか録画でこのシーンを観た時、あまりに私が馴れ馴れしいからか、「これ、俺の知っている人?」と奥様に尋ねられたと(笑)。そんなことを10何年か前にお聞きしました。

宮城野 へぇー。

福井 その時、奥様が何とおっしゃったかは分かりませんが、おそらく「直接面識はないけど…」

富山 子供同士は、繋がってはいると(笑)。

福井 私もたまにテレビに出ることがあるんですが、先日、十何年ぶりに話した友達に「以前、テレビで見たよ」と言われて、何の番組か聞いたら、「白鵬の33回目の優勝」だと(笑)。

宮城野富山 へぇ。

福井 そういう度に、先の一連の話をするんですけど。でも、この話はずうっと横綱ご本人にお話ししたかったので、その夢が、たった今叶いました(笑)。

富山 わはは。でも、不思議だね。たまたま、そういうことがね。

宮城野 しかも、よりにもよって特別な二番でね。でもね、以前から私は、「人は多くの縁で繋がっていて、その不思議な縁が歩むべき道に導いてくれる」という考えを持っているんですよ。

福井 親方は、宿命と運命が絡み合った実に劇的な人生を歩まれてきたと思います。本日は、そのあたりに焦点を当てて、お話を伺えればと存じます。

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本文中の二番をタブレットで見る御三方

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父と家系に対する絶対的な尊敬

福井 お父上は、モンゴル相撲の大横綱であり、レスリング選手としてもオリンピックに5大会連続で出場。1968年のメキシコ五輪では銀メダルを獲得し、モンゴル初のメダリストとなるなど、国民的英雄でした。

宮城野 日本に来て父への尊敬の念を口にすると、なぜか不思議そうな顔をされましたが、私にとっては、ごくごく自然なことでした。私が6歳の1991年、当時協会理事長を辞められ相撲博物館の館長をなさっていた初代若乃花さんが、NHKの世界の相撲のルーツを辿る番組でモンゴルを訪れ、父と対談したんです。その時私は、若乃花さんからお菓子をいただきました。

福井 うまい棒!

宮城野 そうです! 当時、モンゴルが社会主義を破棄し民主化したため、国内に多くの日本文化が流れてきて、日本に興味を持ちました。衛星放送で相撲を観たり、母に『おしん』を半分無理やり観させられたりしました(笑)。あと観たのは『ラブジェネレーション』。知っています? キムタクさんと松たか子さんの。

福井 もちろん。『ラブジェネ』、月9ドラマですね!

富山 知らないなあ。

福井 富山先生は年代的に、仕方ないです(笑)。でも、もし社会主義のままだったらと考えると、そこは先ほどの話じゃないですけれど、もう運命というか。

宮城野 そうなんです。そうした流れの中、旭鷲山関ら6人の力士が1992年に来日して、大島部屋に入門します。しかし、旭天山関を除く5人が、夜中に部屋から脱走し、モンゴルに帰国するという出来事がありました。もう稽古に耐えられないって。

福井 大騒動になりました。

宮城野 モンゴルでもニュースになり、彼らを応援していた国民を失望させました。我慢強いはずのモンゴルの子ども達が耐えられなかったと。結局その時は、モンゴルまで来た大島親方に説得されて、全員再び部屋に戻ったんですがね。当時、私は7歳か8歳でした。

福井 しかし後にこの事件が、入門当初の白鵬関がどんなに稽古が辛くても部屋を逃げ出さなかった理由につながるんですよね。

宮城野 「モンゴルの大横綱の息子まで、辛さに耐えられず帰ってきた」と言われたら、父の顔に泥を塗ることになりますからね。帰りたいという気持ちはあったけれど、帰ってはならないと。

福井 辛かった稽古のお話は、また後程伺います。

④2015年1月23日 一月場所 天皇賜杯授与.jpg
歴代最多の33回目の優勝を果たし、北の湖理事長から賜杯を受け取る白鵬関(2015年1月25日両国国技館)
日本相撲協会提供
ペーター・ヤブロンスキー
宮城野 翔

第69代横綱。本名・白鵬翔(帰化前はムンフバト・ダヴァジャルガル)。1985年3月11日モンゴル・ウランバートル市生まれ。父はモンゴル相撲の横綱で国民的英雄。15歳の時に来日し宮城野部屋に入門、2001年3月場所初土俵を踏む。新大関の2006年5月場所、幕内初優勝。2007年5月場所後に横綱に昇進、以後土俵の内外で相撲界を牽引。幕内優勝回数45回などの5つのギネス認定記録を含む数々の大記録を残し、2021年9月に引退。年寄「間垣」を経て、2022年7月年寄「宮城野」を襲名。生涯戦歴:1187勝247敗253休。