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武蔵野音楽学園

筝  銘 福寿

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重元房吉作 日本 全長177cm

江戸後期—天下泰平・鎖国の時代にあって、日本の工芸界は飛躍的に独自の発達をとげた。漆芸・金工・木工・蒔絵などの各分野で、匠の技が成熟を極め、その細緻な細工は、現在でも賞翫(しょうがん)されるものである。楽器の世界も例外ではなく、六尺ほどもある箏の両端や側面などに、別材をはり、金蒔絵や螺鈿・木工細工などの豪華な装飾が施された。このように装飾に重きをおいた箏を「飾り箏」といい、生田流を中心に用いられた。一方、素地のままや、素地に直接象嵌を施す箏を「素箏(すごと)」といい、主に山田流で好まれた。写真の楽器は、山田流の素箏であるが、素地に直接南天文螺鈿、珊瑚象嵌が施され、当時の流行が反映されている。

山田流は、生田流の誕生から約100年後の1800年頃に誕生した、比較的新しい流派である。当時の生田流は、三味線主導で、地歌三弦の曲に筝を加えたものだったのに対して、山田流は、江戸の河東節や謡曲の要素を取り入れ、歌中心、筝主導の新しい形式の曲を作ったといわれている。
また、山田流創始者である山田検校は、筝師であった弟・重元房吉とともに、楽器を改良し、演奏姿勢なども変化させていった。具体的には、音量を増大させるために、柱を高くし、糸を強めにはり、全長はやや短く、箏のそりを大きくした。また、演奏姿勢を楽器に対して斜め向きから正面に変化させたが、これはより歌声を前に響かせるためであると考えられている。楽器本来の音響的な改良に力を注いだことが窺え、現在では流派を超えて、この新たなタイプの箏が使用されている。

この楽器の作者は、初代重元房吉の流れを汲むもので、何代目の作であるかは不明であるが、槽内部には、房吉の焼印を見ることが出来る。(水野コレクション・武蔵野音楽大学楽器博物館所蔵)