三味線

江戸時代、三味線の名工として代々続いた石村近江は、時に「三味線のストラディヴァリウス」とも呼ばれる。その近江の中でも初期のものは、特に「古近江(こおうみ)」と呼ばれて昔から珍重されてきた。
「古近江と しらず弾いている ひんのよさ」
「古近江で 岡崎を弾く お姫様」
「古近江の 糸まだいいのに かけかえる」

いずれも「古近江」を詠った川柳である。「岡崎」というのは初心者が最初に習う曲で、さしずめ、「ストラディヴァリウスで、教則本を弾く、お姫様」といった感覚であろうか。三味線は、江戸時代に歌舞伎と結びついて、庶民を中心に人気を博していったが、この「古近江」ブランドは、庶民にとってはなかなか手の届かぬ憧れの存在であったことが、これらの川柳からも窺うことができる。

石村近江一族の詳細については、文献によっても諸説あるが、今日、高級な三味線には必ずと言っていいほど入れられる胴内部の「綾(あや)杉(すぎ)」と呼ばれる彫りは、もともと鼓職人の家であった石村近江家が、鼓胴の彫りを三味線に応用したのが始まりであると言われている。

写真の楽器に附属されている証書にも、「この楽器の綾杉技法は、先師から正統的に伝えられたものである」ということが製作者自身によって記されている。

棹は樫材で、表面は紅木の薄材で面剥ぎがされた「薬(や)研彫(げんぼ)り」と呼ばれる特殊なつくりである。薬研彫りとは、上面・側面のどちらから見ても異なる二種の材が見えないように、出会う部分の角が直角ではなく、折半してはめ込まれているという精巧な細工のことで、高い技術が求められ、残存する近江の三味線の中でも稀少なものである。また、棹下部と胴には、製作者を表した焼印が入れられている。(武蔵野音楽大学楽器博物館所蔵)

三味線
12代石村近江作
天保13(1842)年
日本 全長 96cm