三の鼓

三の鼓
製作者不詳 1959年 日本 全長45cm

律令国家の時代、政権の担い手たちはその基盤の安定のために、大陸の先進の技術や知識を吸収しようと考え、武具・工具・生活用品から、都市計画・政治・宗教(仏教)に至るまで、あらゆる分野の情報を貪欲に取り入れていった。そうしたなかで、音楽(雅楽)も儀式の進行には欠かせないものとして、専門の楽師を招聘し、楽生の育成を始めた。

大陸伝来の雅楽は、中国の唐楽と朝鮮半島の高麗楽に分けられているが、高麗楽といっても高麗(高句麗)の音楽だけではなく、百済、新羅のものも含まれ、さらに後世には渤海(満州東部)の音楽をも含めて多様な内容になっている。

三の鼓は、その高麗楽で用いる両面太鼓で、四種類あった鼓の三番目であることを意味している。左右の鼓面は調べ緒(大調べ)で締められ、その大調べには張力調整用の調べ緒(小調べ)が巻きつけられている。奏者は安座して左手で小調べを握り、右手の桴で前打音を添えて拍を刻む。このリズムが楽曲のテンポを統率する重要な役目をもつため、その任には、楽長やそれに準ずる長老があたることが多い。

砂時計型の銅は、金泥の帯と、赤・青・緑等の色鮮やかな模様が描かれ、黒漆の桴、白い鼓面、朱の調べ緒とともに、華やかな色彩を提供している。
(武蔵野音楽大学楽器博物館所蔵)