音楽漬けの高校・大学時代
福井 では、名前が似ている同期生対談を始めます(笑)。
坪井 ハハハ!普段自分は聞き手の方が多いので、意外とこういう対談って珍しいんです。丸腰で来たけど大丈夫?
福井 ヴァイオリン持ってきてくれたじゃない?
坪井 あと、オシャレしなきゃって、黒柳徹子さんからいただいたヴァイオリンのラペルピンを着けてきました。
福井 黒柳さんとは、番組やコンサートで数多く共演してるよね?
坪井 心配りと愛に溢れた素晴らしい方です。音楽にも造詣が深いしね。
福井 人間観察力が秀でている方だから、それゆえの心配りなんでしょうね。ところで坪井君は、昔よくこの辺りに来ていたんだよね?
坪井 祖父母の家が羽沢(武蔵野音大所在地)にあったから、しょっちゅうね。当時、隣のアパートからいつも綺麗な歌声が聞こえていたので理由を祖母に聞いたら、「この辺りは近くに音楽大学があるから、音大生たちがいっぱい住んでるのよ」って。それぞれ顔も名前も知らないんだけれども、あの綺麗な歌声だけはずっと覚えてる。
福井 それが歌番組の司会者になるきっかけですかね(笑)。ヴァイオリンはいつから始めたの?
坪井 実は、高校から(笑)。
福井 えっ?高校ワグネル(慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ。1901年に設立された日本最古のアマオケ)で始めたの?
坪井 大学ワグネルと違って、高校は入団試験がなかったからね。元々母は音大を出て小学校の音楽の教員をやっていたので、私に楽器をやらせたがったのだけど、反抗期気味の私は母の言うことは常に嫌だ嫌だって(笑)。家にヴァイオリンもあったのに、蓋も触ったことがなかった。ところが慶應高校に入学した時にオケがあるのを知って、大勢の中で弾くならちょっとくらい下手でも、上手い人たちがカバーしてくれるだろうと思ったので、友達と一緒に見学しに行きました。その時ある先輩が「ちょっとやってみたら?」って声をかけてくれたので、「じゃあ、やってみます!」って弾いたら、なんと一発で綺麗な音が出ちゃった。そしたらその先輩が、今思えば絶対嘘なんだけど「お前は天才だぞ」って。「上手くなるから絶対ヴァイオリンやった方がいい」「そうしたら女の子にモテる」と。その3点セットで入部したわけです(笑)。
福井 典型的な部活の勧誘手口じゃない(笑)。実は私もヴァイオリンを6歳からやっていたのでワグネルを見学しに行ったんだけど、週4回活動とか言われ、さすがにピアノの練習に支障があると思って断念したんだ。入部していたら隣で演奏してたかもね。
坪井 本当だね。
福井 ヴァイオリンを始めるには、あまりに遅い感じがするけど…。
坪井 高校ワグネルは、演奏会が年度末の1回だけだったので、近くの個人教室に通ったりしながら、実質半年ぐらいの期間でワーグナーとヴェルディの管弦楽曲、そしてメインのブラームスの『交響曲第2番』の3曲をやるということになって。
福井 普通初心者はそんな大作やらないけど、高すぎる目標が潜在能力を覚醒させたのか(笑)。
坪井 教則本とかには一切触れずに、いきなりオケの第2ヴァイオリンの楽譜を与えられて、それをひたすら練習しました。
福井 よい子の音校生たちはマネしないようにしましょう(笑)。
坪井 確かに!でも教則本から始めていたら、途中で嫌になっていたかもしれない。例えば生まれた赤ちゃんが言葉を覚えるのにテキストなんて不要だけど、大人になってから外国語を学ぼうといったって、なかなかモチベーションが上がらないのと一緒。
福井 友人たちと一緒だったのは大きいよね。
坪井 本当に必死で試行錯誤の連続だったけど、3月に先輩たちとステージに立ってブラームスを弾き終わった時の感動っていうのは、凄かった。「これがオーケストラだ、ステージだ」っていう興奮から、自然と涙は出るわ、鳥肌が立つわ。その瞬間から、私のこのクラシック音楽との人生がある。それこそ福井君と今こうやって話すっていうのもね。
福井 そして、番組でも唆されてたまにヴァイオリンの腕前を披露しているわけだね(笑)。高校の時、サントリーホールの杮落とし公演に行ったんだってね?
坪井 小澤征爾&ベルリン・フィルのチケットを徹夜で並んで手に入れました。あの時の『英雄の生涯』は最高でした。サントリーホールといえば、大学生時代はホール内でコーヒーを出すアルバイトをしていました。なぜレセプショニスト(案内・誘導)ではなく、カフェスタッフかというと、僕らが準備をしている間、ホールの中ではリハーサルが行われていて、その音が全部聞こえる。扉が開いている時は覗くこともできる。それこそ海外の一流オーケストラをね。まあアルバイト料は大したことないんだけども(笑)。
福井 レセプショニストのバイトをしている弟子がいるけど、お客様からクレームとかきて結構大変らしいね。
坪井 コーヒー担当は極めて平和。皆さん気持ちよくコーヒーを飲んでた(笑)。
福井 お客様は、極上の音楽は聴きたいが、めちゃくちゃ美味しいコーヒーを目的に来ているわけではない(笑)。
坪井 そうそう。つまり私にとっては極上のバイトでした(笑)。
福井 その役得経験からの流れで、隣の会社(テレビ朝日)に就職したわけですね(笑)。それは後で聞くとして、大学時代にはロンドンに1年間留学していたよね?
坪井 大学ワグネルは年3回コンサートをやるから色んな曲ができたし、プロの指揮者や演奏家が指導に来てくださったので、完全にやる気スイッチが入った。ありとあらゆるCDを聴きまくり、ミニチュアスコアをヤマハで買いまくり(笑)。自然とヨーロッパや英語に関心が高まり1990年に思い切って留学しました。で、ロンドンのホストファミリーの家に着いたとき、たまたまファミリーが庭でパーティーをやっていて。持っていってた楽器を見て「なんだそれ?ヴァイオリンじゃないか、弾いてよ!」って言われ、ちょっと弾いたらこれが大ウケ!英語もうまく話せないのに一気に皆さんとの距離が縮まって。音楽が世界共通言語というのはこういうことかと、肌で感じた瞬間でした。
久米宏氏に憧れてテレビ朝日に就職
福井 このまま音楽話で押し切ってもいいんだけど(笑)、大学卒業時にアナウンサーを志したのはなぜでしょう?
坪井 急に面接みたいな(笑)。私は一人っ子で、いわゆる「鍵っ子」だったんですよ。小学校が終わってから両親が帰宅するまでは、ずっと一人で留守番をしていて。もちろん友達と遊ぶこともあったけど、何が一番の友達だったかと言ったらやっぱりテレビだったのね。午後3時くらいからドラマの再放送を見て、夕方になるとニュースを見て、野球中継や、歌番組、欽ちゃんその他の番組を見まくっていた。なかでも久米宏さんの『ぴったしカン・カン』と『ザ・ベストテン』が大好きだった。
福井 観てたものが、まったく一緒ですね(笑)。
坪井 で、この人(久米宏さん)の仕事って何だろうって思ったわけ。それで親に聞いたらアナウンサーっていう仕事なんだと。こういう仕事に就きたいなっていう、うっすらとした憧れがその頃からずっとあった。
福井 実は私も久米さんと古舘伊知郎さんが好きで、少しだけアナウンサーになりたいって思ってた。
坪井 久米さんはちょうど私が高校の時、『ニュースステーション(1985年から2004年までテレビ朝日系列で平日22時から生放送されていた伝説的報道番組)』のメインキャスターになって。
福井 久米さん自身の言葉や感情を交えた語りが、それまでの硬いニュース番組のイメージ・在り方を覆したよね。
坪井 で、大学4年になって就職活動をするにあたり元々アナウンサーになりたいし、久米さんに会いたいなって思って、テレビ朝日の採用試験に応募。
福井 わかりやすいですな(笑)。
坪井 運よくご縁をいただき、バイトで通ったサントリーホールの隣にあるテレビ朝日に就職しました(笑)。入社すると大体1年目の秋から番組に出演するようになるんだけど、私は何の因果か『ニュースステーション』のスポーツ担当になって!つまり、いきなり子供のころから憧れていた久米さんの右に座ることになったわけ。今まで誠実に生きてきたご褒美なのかな?って(笑)感動でした。
福井 それはミラクルだよね。会いたいと思って入社できただけで凄いのに、半年後にその方の隣で仕事するなんて。
坪井 しかもスポーツ担当は3年位変わらないので、ちょうど前任者が変わるタイミングの入社だったという強運で。
福井 角澤照治君(同局アナウンサー。2人の大学同期)は、坪井君の次のスポーツ担当?
坪井 そう、私が3年やった後ね。あ、角澤とは、福井君のことを前から「凄いよね」って話してて自慢の同期だよ。
福井 それはお互い様ですけど(笑)、ありがとうございます。久米さんって実際はどのような方でしたか?
坪井 すごく自分の世界を大事にしている方かな。硬軟自在のアドリブ力と軽妙な話術で、バラエティの要素を取り入れながらニュースを分かりやすく伝えてくれました。亡くなった今でも尊敬しています。
福井 黒柳徹子さんとの当意即妙な司会ぶりが見どころだった『ザ・ベストテン(1978年から1989年までTBS系列で放送され、最高視聴率41.9%を記録した歴史的な歌番組)』とならび、『ニュースステーション』はテレビ史における革命的な番組でした。